続 前祝いのススメ―鹿島神宮の祭頭祭(さいとうさい)

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鹿島神宮の祭頭祭は豊作引き寄せの為の予祝(よしゅく)行事だった!

かつて私が勤めさせていただいていた鹿島神宮に毎年、3月9日の祭頭祭(さいとうさい)というお祭りがあります。この祭りは、かつては鹿島の神が武神であるという理由で、長い間、「防人(さきもり。奈良時代から始まった九州防備のための徴兵)の祭」とされたこともありますが、それは戦前の富国強兵と言う軍国日本の高揚を求めた付会(ふかい。こじつけ)であることはこの祭りの囃子言葉からもはっきりとわかります。

では、一体、この祭りは何の祭ととらえたらいいのでしょう。

出典 : 鹿嶋神宮

結論から言います。

五穀(特に稲作)豊穣(ほうじょう。豊かな実り)を願う農業祭です。

事実、明治時代、国に上げた報告書にも、祈念祭(きねんさい。秋の豊作への祈願祭)と見なされていました。

今でもそうですが、昔はことに、稲作は、人々の生活の基盤ですから、祭りの中でも一番大事な祭りであり、季節でも春一番に当たるところから「祭頭祭」という名称がついたものと思われます。

かつて、神社本庁の教学部の第五期研究生の時に「鹿島神宮『祭頭祭』についての考察」というささやかな論考を提出したことがあるのですが、その時分は、古代からの信仰の、東から発する”みあれ”としての宇宙エネルギーである鹿島の神という視点から、鹿島立ちや安産と同じ線上に、この「祭頭祭」を捉えていました。

五穀、特に稲作の”みあれ”をうながす呪術的なお祭りだと捉えていたのです。

ですから、まさか、この祭頭祭が各部落の秋の収穫を前祝いする、いわゆる”予祝行事(よしゅくぎょうじ)”の代表的な祭りであったなんて、残念ながら、全く気づけませんでした。

そして、鹿島神宮の先輩の神職方や学者の研究者の方々も、祭頭祭のこの本質には思い至らなかったようで、このことに触れた文献や記述を、私は、寡聞(かぶん)にして知りません。

この祭りが予祝行事である証拠は、第一にその囃子言葉(はやしことば)にあります。

例えば、音頭取りが、「礼豊善豊穂弥(イヤートホヨトホエー)」と言うと、

続いて一斉に、鹿島の豊竹 トホヨトヤ

田作りびとらは トホヨトヤ

御国(みくに)の礎(いしづえ)

五穀は豊穣(ほうじょう)

豊年満作 トホヨトエー

など、とにかく、どうみても秋の収穫の”前祝い”の歌なのです。

ひたすら豊作への想念の言葉に満ちた囃子(はやし)言葉の繰り返しです。

各自、部落によって人数の多い少ないはありますが、祝いの色取り取りの衣装を着て、男女とも、顔は非日常の晴れの日の為の厚化粧をし、十人ぐらいの輪になって堅い樫の棒を互いに組んではほぐす所作を繰り返しながら、門前の大町、仲町を勇壮に練り歩いて、最後は、鹿島神宮拝殿前で、囃子言葉の歌と共に豊作模擬の奉納を終えるのです。

出典: 鹿島神宮の祭頭祭

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こうして、”秋の豊作間違いなし”の感謝の祈りをささげるのです。

決して哀願や懇願の祈りではないのです。

はじめっから五穀の豊穣を前祝し喜び感謝してしまっているのです、既定事実であるかのように。

これが予祝行事による目標成就の為の秘訣だからです。

なんと、鹿島神宮では、1000年以上も前から、現在、「引き寄せの法則」として知られている願望成就の方法を、祭頭祭の神事として伝承していたのです。

ほんとうに、よくぞこんな素晴らしいお祭りを残してくれたものだと思います。

皆さんも、この予祝行事をよく理解されて、ご自分の人生に活用されてはいかがでしょうか。

以上が神社参拝の極意です。

すなわち、「お願い」ではなく、「目標の心願成就」を事前に受け取って喜び感謝の誠をささげる、ということです。

後は「忘れてしまう」ようにすることもまた、極意の一つです。

どうして忘れ去ることが、この際、得策なのかを考えてみましょう。

「忘れること」が、もうあれこれ考えて疑いを抱かせない、心願成就の為のダメ押しになるからです。

それともう一つ、祈りを引き渡したら、後はもう宇宙(ないし神ないし父なる天)の領域で、人はもう何もできないからです。

祈りの成就には神と人とにそれぞれ役割分担というものがあるからです。

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