続 嫌なことを忘れる方法

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前回は、人間だけが持っている「識」について考えました。

今回は、この識を越える道によって心をニュートラルにして「嫌なことを忘れる方法」を探ることとします。

そもそも、怒りや悔しいことやイライラするような嫌なマイナスマインドをそう簡単にニュートラルな状態などにできるのか、ということですが、それができる方法があります。

それが”自観法”という方法です。

読んで字のごとく、自らの心をもう一つの自分で観るという方法です。

私たちは朝から晩まで、四六時中、眠る時以外は、たえず何かを思ったり考えたりその思考に従っていろんな感情をいだきながら毎日を過ごしています。

たえず意識が川の流れのように流れていて留まるということがありません。

楽しいこと、嬉しいこともありますが、それこそ腹が立つこと、悔しいことなど不快なことにもたくさん出会います。

その様々に川の流れのように起こる意識の流れをもう一つの自分で観る、それが自観法です。

なんだそれ?

反省のこと?

ですよね。

いや、反省のことではないんです。今現に考え思っていることに対して、即、まさにその意識の流れそのものをもう一つの自分で、一切の批判や判断を加えずにそのまま、良い思いであれ、悪い思いであれ思い浮かんでくるすべての意識をただ眺めるのです。

例えば「今自分は、今日の昼飯はあそこの天ざるがいいな、と思っているな」、という風に自分のその思いをそのまま、眺め、見るのです。

もっと言えば、「わたしが~と思っている」というよりも、「私の心が~と思っているな」というように、自分の心をもう一つの自分で客観的に眺め、観る、俯瞰(高いところから見る)ということです。

ということは、ここには「二つの自分がある」という前提があるということです。

今は、この二つの自分ということはわかりにくいかと思いますが、私がかつて天児屋根命の御霊とされる方(本当にそうかどうかはわかりませんが)から受けた伝言に「すべては上手くいっています。秘訣は、早く<ほんとうの自分>を知ることです。実は、あなたというものはいません。」というものです。

私自身は、この伝言にはとても深いものを感じています。私には、かの聖ソクラテスが受けたといわれる「デルフォイの神託」の<汝自身を知れ>を思い起こさせるからです。

自分というものには、二つの自分というものがあり、古来、それは真我vs自我、霊vs肉体、大我vs小我といった二つの自分として知られています。

ですので、自観法というのは、自我の中で埋もれてしまっている真我を、自観することで、少しづつ引き出す方法なのだと考えられています。

ということは、観られている意識の流れというのは おおむね、生存競争下にある仕事や生活やお金や男女のこと(恋愛やセックス)に熱中している自我の意識のことです。

どんなえげつないことや恥ずかしいことでも、どんなことでもありのままに流れてくる意識をなんの道徳的な一切の判断や批判を加えずに、ただひたすら淡々と観ているもう一方の自分で観るみるのです。

そのもう一方の自分こそが、実は真我であり大我なのです。

だからこそ、なんと、これが、後で絶大な効果をもたらすのです。

そうでなければ、ただ二つの自我に分裂しているだけ、ということになり、決していい効果など出てくることなどありえないのです

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まあ、ともかく、一般的には、いのち=肉体及び自我という、はっきり見えるものだけを信じる唯物論的発想でしょうが、ここでは仮説でもいいですから、いのちと肉体我=自我とは、それぞれ別次元に属していると考えてみてください。

そうした視点で、いのちが自分の意識(思考と感情)の流れを、一切の批判なしに、ただ眺める、ただ観る、ということをする。

無論、”嬉しいこと”に対してもこれをすると、クールにはなりますが、かといって人間味のない人間になるなどということはありませんので、安心してください。

まず、これで、”嫌なことや忘れたいこと”を今までよりは遥かに忘れられるようになると思います。

一日に、最低一分間、それ以下ではダメです。それを一日、最低3回。無論何度やってもいい。

これを約一か月やる。

すると、どうなるか。

いい方向に行くことだけは確かです。

では、また次回まで。

読んでいただきありがとうございます。

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