鹿島神宮の祭頭祭とはどんなお祭り?歌の歌詞の意味と大総督の決め方は?

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祭頭祭とはどんなお祭り?なんと読むの?

祭頭祭とは、さいとうさい、と読みます。
お祭りの頭にあるお祭り、という意味ですが、どうしてこのような名前になっているのでしょうか。
このお祭りは毎年三月九日に行われていますが、昔はお米を中心とした秋の収穫を祈るお祭りはすべての人々にとってその生存にかかわる最も大事なお祭りと考えられていたと思います。
それと、三月という年の初めの大きな祭ということで「祭頭祭」という名前が付けられたのはないか、と思います。
昔は旧暦ですので、一年の始まりは二月の節分の次の立春で、立春が年の初めの正月だったのです。
では、実際この祭りはどんな風に行われているのでしょうか。
鹿島神宮の氏子(敬う人)は、現在の茨城県の鹿嶋市と神栖市にまたがり、昔は六十六の氏子区域で構成されていました。
その氏子区域は、神宮を中心として南北に分かれていて両地域から一字ずつ約二十に一度、神宮による選定の神事があって選ばれます。
選ばれた各氏子の方々は、約一年の準備とはやしの練習をへて、次の年の三月九日の祭頭祭として、その年の秋の収穫と幸せの祈りを込めた「はやし行事」を、歌と共に宮中の町なかを行進しながら神宮に納めるお祭りです。
現在の祭頭祭のはやし方は、一組が15~20人位のはやし人がかたまり、それに太鼓をたたいて音頭(おんど)をとる人たちがいて、はやし人は約2m位のかしの棒をお互いに組んで合わせては離れ、離れては組みしながら宮中と呼ばれるところを練り歩き、神宮をめざしてひたすら進んでいくのです。

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祭頭祭の歌の歌詞の意味は?

出典:鹿島神宮

音頭取りが トホヨトエーの掛け声をかけてそのはやし人をリードします。

意味は

ト  ホ  ヨ    ト  エー

(豊)(穂)(弥)(豊)(栄)
(お米の稲穂がますますゆたかに実り栄ますように)の意味です。

すると、2メートルほどの棒を組んでは放し、放しては組みながら、

はやし人は、

イ  エ ― ト  ホ   ヨ  ト  ヤ   アア  ヤレソラ

(弥)  (豊)(穂) (善)(豊)(弥)   (掛け声)

(いよいよ豊かな実りで) (よい実り)  (ああ、それそれ、その通り)、という掛け声を掛けていくのです。

また別のはやし歌もあります。

そこにもられている言葉は、「田作り人はトホヨトヤ」とか、「御国(みくに、日本のこと)の礎(いしづえ、おおもと)」とか「五穀(米・麦・あわ・きび・豆)は豊穣(ほうじょう、ゆたか)だ、イヤホエー」、「豊年満作(ほうねんまんさく、豊作がすべてに及ぶこと)トホヨトヤ」など、秋の収穫を前もってお祝いして、嬉し楽しと、喜ぶ歌を歌って進んでいくための言葉です。

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祭頭祭の大総督(だいそうとく)の決め方は?

祭頭ばやしが神宮に納められて終わる、その日の夜の六時に春季祭(しゅんきさい)という

来年度の南北の奉納(ほうのう、おさめること)の区域が宮司(神社の長)による占い(うらない)式によって選ばれます。

これを卜定(ぼくてい、占いによってきめること)と言います。

とても神秘的な行事です。

来年度予定されている当番の候補があるのですが、その両区域のそれぞれ二つの候補が書かれている紙片(しへん)の一つづつを、祈りを込めて、小さな御幣(紙を切り、細長い木にはさんでたらしたもの)で釣りあげます。

それを別の神職(しんしょく、神社に仕える人)さんが受け取って多くの人が見守る前に出て行って大きな声で読み上げます。

「来たる平成○○年、三月九日の春季祭当番は、大神のおぼしめしによって、大字(おおあざ、その地域のこと)○○」と読み上げられます。

これを聞いた一同は歓声を上げ、そこに当たった氏子の人は、今は携帯を使って各地域の人に知らせます。

これが決まると、それから向こう一年間、各地域の人びとは、役員や大総督(だいそうとく)を選んで来年の三月九日に向かって忙しい日々を送るのです。

大総督は、原則として、五才前後の男の子が選ばれますが、おおむねその区域から神の子としての大総督にふさわしい子が選ばれます。

三月九日の晴れの日は、大総督は、甲冑(かっちゅう、よろいとかぶと)を付けた武将の姿で、町中をはやしながら行進していく間はウマとよばれる人の肩車で行進していきます。

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まとめ

祭頭祭は、結局、秋の実り豊かな収穫を祈るお祭りなのですが、その願いの叶え方に特徴があり、とても大切な方法を教えてくれているように思います。

それは、祈る目標を先取りして喜んでしまっている、ということです。

その秋の実りという目標が叶ったこととして、前もって、ああ嬉しい、楽しい、有難いと「イ  エ―ト ホ ヨ ト ヤ アア ヤレソラ」と喜び勇みながら、晴れの衣装を着て、はやしをしていることです。

ここには、前もってその秋の実りという目標を先取りして前祝をし喜んで感謝してしまうこの行いが神様にとっても嬉しいのだ、という思いがあるように思います。

人と神との関係は子供と親の関係ですから、子供がこれが欲しいな、叶ったら嬉しいな、有難いなと言ったら、出来るだけそれらを喜んで与えたい、と思っているのがお父さんお母さんの心ですからね。

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