これで人生は必ず好転しますー「I am that I am(私は在りて在るもの)」5

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識(しき)を悪く使ってしまうのは”I am that I am ”という法則を知らないからです

では、どうして人は識(しき)を悪い方に使ってしまうのでしょうか?

識の悪い方の使い方というのは、一つは人を騙(だま)す、とか嘘をつく、とか、まあいわゆる不道徳なことがありますね。

そういう思いでいると、それに見合った現実を引き寄せるということです。

これも、同じマイナスマインドでありますが、前回も申し上げましたように、恨み妬み憎しみ怒り羨むのようなマイナス感情を抱いても、そのマイナスマインドに比例して悪いことが起こると言うか、そのマインド相応の悪い目にあうという現実を創造してしまうということです。

心と肉体との関係ではこのことは顕著でありますが、心と現実世界との関係も同じようにそれ相応の結果が出るということなのです。

それは、精神世界と現実と呼ばれる物質世界の現象界のあいだには明確な境界線がないということを実証している量子力学の法則によるわけです。

これは現実という現象世界が ”I am that I am” という心の法則でできているということでもあります

まあ一般にはこういう心の世界と現実との関係をあまり考えないで生きているのが普通だと思います

つまり、普通は目の前に展開する現実的なものに対しては、目に見える世界で唯物論的に現実的に処理しながら人生を送って人生に対処していると思います。

学校の先生からも家庭内の両親からでも、人生をどういう風に生きたらよいのか、というようなことはほとんど教えられることはありません。

学校の先生方もご両親もそういう人生探求に関する深い知識はないし、まあ社会の常識を心得ていればなんとか生きていけると考えていると思います。

人は困難や逆境に直面してはじめてそいうことを考え始めるのが普通です。

それに、考えてもよくわからない、というのが実情でしょう。

そこで多くの人は精神世界や宗教などにその救いを求めていくわけですが、多くの場合そこで心と現実との関係を本当に分かっていて、わかりやすく教えてくれるような人も所はなかなかないのではないでしょうか。

そこで神仏に祈ると言うことが基本にあると思いますが、多くのほとんどの人々が願いの叶う正しい祈り方をしていないようです。

人生がかなり上手くいっている人というのは、どうやら一握りのひとだけ、というのが真相ではないでしょうか?

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自分が”I am that I am ”という存在だと理解できた時、道が拓けます

”I am that I am ”という、ここで言う心の法則2に則った、つまり I am that I am という現実と心の世界との関係を表現したこの法則をよく理解して祈っているということをしていない、ということです。

どういうことかと言いますと  I am that I am とありますよね。

その前の方のIを1とし、後ろのIを2として説明します。

2のIが一般に理解しているあなたであり、私です。

この心の法則とは、2のIが思うこと、また感じることは、1のIに反映され、その1は確実にそれらを現象界に実現するという法則だということなのです。

極端にわかりやすくいいますと、2のIが嬉しい楽しい世界を思っていると1のIはそれを反映し、タイムラグ(時間差)はありますけれどもあなたは、同じ体験をするか、そういう体験をするように引き寄せられていきます。

反対に、旧約聖書のヨブ記にありますように、「恐れていたことが現実になった」という体験談にあるように、あなたが、常に不安に思い恐れていると、それが現実になってしまう、という原理も I am that I am の神の法則によって起こるのです。

言い換えれば、本当は神はいつでもあなたの想いに答えている。

決して沈黙はしていない、ということです。

ただし一つだけ条件があります。

それは”I am that I am”という法則を通してのみです。

それ以外には神はあなたの願いには絶対に、永遠に、答えません。

これはさんざんあなたが何度もこれまで体験されていることだと思います。

これまで、あなたは、何度、人知れず神社に行ったり、あるいは一人部屋の中で神に祈ったことでしょう。

後ろのIという自分の思いや感情が、前の創造するIによって創造されている、という法則、モーゼに現れた”I am that I am”の神とは、「私はそのようにあなたに応え、そのように世界を創造しているのだよ」ということを知らせた、とても素晴らしいメッセージであり、神の啓示だったと思います。

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祈りは哀願の祈りをやめて感謝の祈りにすることで叶えられます

そういうわけで、祈りには二つそのやり方があります

一つは多くの人々が行っている間違った祈り方です。

これを請求書型の祈りとも言われているようですが、なるほど、と思います。

どういう祈り方と言いますと、 どうか家内が安全でありますように、どうか交通事故に会いませんように、素敵な恋人ができますように、病気が早く治りますように、もっと事業が繁栄しますように、〇〇大学に合格しますように他何でもこんな風に神にお願いしていないですか?

何々でありますようにとお願いする懇願と哀願の祈りです。

泣いてすがる祈りですね。

”困ったときの神頼み”はまさにこれですね。

或いは、他の人の苦しみの為に祈ることがあるかもしれません。

しかしその結果は、おおむね「神よ、あなたはどうして人々の苦しみに沈黙をされているのですか?」という嘆きに終わることが多いのではないでしょうか。

遠藤周作原作、マーチン・スコセージ監督の映画「沈黙」のなかのセリフ「主よあなたはどうして苦しむ人々に対し沈黙されているのですか?」という悲痛な叫びがこの映画ではよく描かれています。

心の底からの必死のそして悲痛な祈りが何故叶えられないのでしょうか?

その理由、それは I am that I am という厳然たる神の法則から来ています。

一方、正しい祈り方とはどんな祈りなのでしょうか

それはI am that I am という神の法則に則った祈りです。

これを感謝の祈りと言います

後ろの個我のIが「ありがとうございました。○○の大会で優勝することができました」とか「ありがとうございました。病気は本当に快方にに向かっています」という祈りです。

前者の「請求書型祈り」に対してこれを「領収書型祈り」というそうです。

祈るということ

なるほどですね。

かつてイエスも同じ真理を人々に伝えました。

 I am that I am の「後ろのあなたのI」に願いが出てきたら、その願いは既に叶っている世界があるから願うのです、だから「既にかなっているその世界を心の中でただ見ることだ」と。

するとその願いを「隠れたる所にいます前の父の神のI」がこれを実現するのだ、とイエスは伝えました。

要は、「既にかなっているその世界を心の中でただ見ること」をしっかりやったら、あとは前の、全てを知り全てが出来る「父なるI am-私は在る」が鏡のようにこの現象世界に映し出してくれるのです。

祈りはこうでなくてはならないのです。

これが真の祈りです。

それでは、また次回、このブログでお会いしましょう。

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