何がめでたい誕生日!を考える

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誕生日は何でめでたい?

何で誕生日はめでたいのでしょうか?

こんな疑問を持ったことはありませんか?

今回は、何で誕生日がめでたいのかを改めて考えてみたいと思います。

日本には、もともとお誕生日をお祝いするという習慣がありませんでした。

日本で誕生日を祝うようになったのは、昭和24年「年齢に関する法律」というものが制定されて以降から、満年齢の数え方をするようになってからのことのようです。

この生まれた誕生日を祝う習慣は、基本的には日本のものではなく外国のものでした。

日本では、誕生日を祝うというよりも、室町時代あたりから、七五三の年で祝うことが行われるようになりました。

3歳の髪置きと言って男女とも髪が伸び始める時期のお祝いです。

5歳は男の子の袴着(はかまぎ)

7歳は女の子が着物に帯を使い始めるので、帯解(おびと)き をお祝いをしたのです。

まあ、基本的には、誕生日を祝うというのは、その年まで無事

髪置き               袴着

に生きて来られたことをお祝いする日なので、それが一応本当の答えであるのかもしれません。

特に、戦前などは1年以内になくなってしまった子供たちの話をお聞きになったことがあると思います。

1年以内になくなるのも、そんなに珍しいことではない時代がありました。

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無事に生きて来られたお祝い

ただ、大人になると、誕生日は歳をとることへのカウントダウンなのであまりお祝いの気分にはなれないのですが、まあこれも無事に生きてこられてきたお祝いで、おめでたい日でよろしいんじゃないでしょうか

赤ん坊が生まれた時と同じように、年をとれば一年を無事に送れたことが奇跡的になってきてこれがお祝いの対象となるということでしょう。

基本は生きながらえている命への感謝ということであると思います。

よくよく考えてみれば、数億個の男性の精子の中の  一個を受精した母の胎内から生まれた、そんな確率の中からこの世に生まれた私とあなた なのです。

したがって父母(ちちはは)の先祖が一人欠けても、私やあなたの誕生はありませんでした。

ですので、何億分の一、何兆分かの一とかのレベル、そういうレベルをも超えたレベルの確率で、あなたも私も生まれてきた貴重な存在なのです。

しかも、細菌でも昆虫でも鳥獣(ちょうじゅう)でもなく魚でもなくって、人間として生まれてきたということは、これはこれで大変なことなんですね。

しかも、日本人として生まれてきたというのは、さらに奇跡的で、結構、実はありがたいことのように、少なくともアジアの人々たちは羨ましく思っているようですね。

というのも、ある日本人が中国へ旅行に行ってある占い師に占断された時の話ですが、ある占断師が、「あなたが日本に生まれたということは、あなたの前世の行いが素晴らしいものだったからですよ」と言われたそうです。

その占い師の言っていることが正しいかどうかはわかりませんが、少なくとも日本に日本人として生まれたことがとても幸運であるという認識がその中国人の中にはあったということです。

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人身、受け難(がた)し

まあ、それはともかく、仏教では「人身受け難(がた)し、われ、今、それをすでに受く」(三帰依文)という言葉があるように、人間に生まれてくるということは、とてもめでたいことだという認識がそこにはあります。

仏教では六道(ろくどう)と言う六つの世界と言うか、六段階のレベルの世界があるという教えがあります。

下から地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・ 天界の六つの世界の、上から2番目ですからかなり幸運な世界に生きていることになります。

ことに仏教では、 なぜ人間に生まれてきたのがそんなに幸運でめでたいことなのかと言うと、同じ生あるものに生まれても、人間以上でないと、生命がもときた本来の場所、仏教式に言えば如来の世界、他の世界で言えば神の世界、あるいは宇宙意識の世界、その世界に帰る、言い換えれば悟りに至るには、最低人間でないと不可能のようにできているからなのです。

これが仏教のブッタの教えです。

”人身(じんしん)受け難がたし、いま既に受く。仏法(ぶっぽう)聞き難(がた)し、今既に聞く。この身 今生(こんじょう)において度(ど)せずんば、さらに、いずれの生(せい)においてか、 この身を度(ど)せん。”とある通りです。

この意味は、”この人間として生まれてくるということは極めて稀であるが、私は今人間として生まれ生きている。次に、悟りに至る仏法を聞くということ、それに出会えるということは、さらにあり得ないことであるのに、今、私は、この如来に帰る道を聞いている。”

もしこの世においてこの真理に出合っていなかったら、また何回生まれ変わったらこの身を如来の道に至ることができるのか、何の保証もないのに、今ここに人身を得て悟りの道を得て解脱できるかもしれないのは誠に誠ににめでたいことである、といった意味だと思います。

まあ、これは仏教者の真理を求める求道者(ぐどうしゃ)の心境を述べたものであります。

それはともかく、これは、無論、相対的なことではありますが、やはりこのように人身を受けたことは、しかも日本という素晴らしい国に生まれたことは、やはり稀有(けう)なことで幸運なことだと思いたいです 。

ですので、最後に、やはり、これを読んで頂いたあなたの誕生日に対し、ハッピーバースデイ!(Happy Birthday!)と心よりお祝い申し上げます。

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