
「”こころ”にはカタチがない」という事実があなたを救う、そのワケ
「”こころ”にはカタチがない」という事実を認めると、あなたの内なる「弥陀の本願」が動き始めて、あなたをあらゆる点で導きます。あなたと弥陀の本願との境が取り除かれたからです。
「”こころ”にはカタチがない」という事実を認めると、あなたの内なる「弥陀の本願」が動き始めて、あなたをあらゆる点で導きます。あなたと弥陀の本願との境が取り除かれたからです。
人は煩悩に苦しみますが、しかしそれはまた悟りの種であり、やがて災い転じて喜びになる道理を「煩悩即菩提」といいます。
「為せば成る」の格言は、為すべき一所懸命の努力なしに神仏に頼る愚かさを戒(いまし)める句として、独立自尊の経営者に第一位の座右の銘となっているのです。
どうしたら「運を味方にし運を貯(た)めることができるか、その「こころの在り方と行動指針」とは何か。
人は欲や見栄を越えて目前の仕事を人の喜ぶ顔見たさに懸命にやっていると神仏に頼まなくても幸運は向こうからやって来るようです。
オーリングテストも腕相撲による検証も いずれも、身体(からだ)を使って 身体に聞いて あるモノが人間にとっていいものなのか悪いものなのかを判断することができるということは「肉体蔑視(にくたいべっし)」の考えに猛省を促すものです。肉体万歳!身体万歳!と叫びたいくらいです。
人は、本当は、己のエゴイズムを越える道を求めている。 だってそこにしかほんとうの自他の幸せと真の世界平和の道はないことをはっきりと分かっているからです。
「思い通り で ない ところ も、全て 思い通りである」、これが人生の真実なのです。それはどうしてかと言うと、人間には肉体の自我意識の自分と魂レベルの自分とがあるからなのです。
様々な心の「波動調整」の方法がありますが、俳句にも心を癒す「波動調整」の力があります。
<絶対の世界>が<相対の世界のすべてが大丈夫>の根拠になっているのです。 だから<あなたはこの相対の世界でなにがあっても大丈夫>なのです。