ーお祓いには、実は、ベストタイミングという時があるー

「誠の道」とはどんな道か?

菅原道眞(すがわらみちざね)の有名な歌に

心だに誠の道にかないなば

                         祈らずとても神や守ら む

という歌があります。

「至誠通神(しせいつうしん、誠の心は神に通ず)」と言ういい方もします。

菅原道真

この文言の入った扁額(横に長い額)を見ることがよくあります。

今回はこの菅原道眞の歌をめぐって、「誠の道」とは何なのか、あるいは祈りを妨げる罪穢(つみけがれ)はどのようにしてお祓いしたらいいのか、そして「お祓いには、実はベストタイミングがある」ということ、さらに言えば「その祓いのタイミングと同時に、ピンポイントではない漠然とした大雑把なお祓いには効き目がない」ということを考えてみたいと思います。。 

人はこの世に生をうけて、「元来は神と一つ、一体のもの」として生まれているはずなのに、この世の根本的な仕組みのことは無知のままで、この世に放り出されて生きているのが現実です。

そういうわけで、この人生では思いがけなく、思わず知らず罪を犯したり、穢(けが)れに触れたりして訳が分からず生きているものです。

たらいより生まれて死ぬまでちんぷんかん

かつて、小林一茶という有名な俳人が、人の一生を「たらいより生まれて死ぬまでちんぷんかん」という句を残してこの世を去りましたが、物を深く考える 一茶 のようなインテリでさえもこうなんですから、我々凡人の人生はさらに霧の中にいるようでワケもわからずほとんど盲目的に生きている、というのが本当のところではないでしょうか。

ですから、誰でも、程度の差こそあれ、ネガティブなマインドや感情でいつも満たされない気持ちで生きています。

仕事のことや健康のこと、対人関係や異性やお金の事などで、いろんな怒りや恨み・つらみ・ねたみ或いは憎しみとなどといった負(ふ)の心を抱きながらストレスを溜めて生きています。

小林一茶

この道眞(みちざね)の歌の中の「誠の道」とは、凡人の世界からは見れば、ゴミ芥(あくた)のネガティブ・マインドが一切ない状態の世界ですが、聖人君子でもない限り、煩悩具足の我々凡人には無理な話です。

それが本当の姿ではないでしょうか。

「禊(みそ)ぎ祓(はら)い」はなぜ不可欠なのか。

そこで、神道の世界では「ミソギ祓い」ということを、ことさらに強調します。

この「ゴミあくた」が、例えば、体の中の血管の中にあって、その「命の流れ」を阻害しているといろんな病気の原因になるように、日常の生活においても、健やかに豊かに楽しく生きていく為には、いろんな罪穢れからくる不幸や不運を避けるために「禊(みそ)ぎ祓(はら)い」は不可欠なものと考えられているわけです。

ですから神道の行事では「祓いに始まって祓いに終わる」というふうに「禊ぎ祓い」を徹底します。

そこで、道真(みちざね)の歌を「禊祓い」に則して考えると、諸々の禍事・罪穢(まがごと・つみけがれ)をとにかく「禊祓う」ことを普段に行うべく、その為のエクササイズをしていれば、後は「すでに完全に創造されている命という流れ」に任せておくことで、万事は順調に上手くいくという考えが、この歌の背景にはあるように思います。

ですから、「禊ぎ祓い」さえできていれば、自ずから「誠の道にかなう」ということになります。

つまり、本来、人は完全円満・諸事順調にできているのに、これを人間の側の自我の罪穢れでその「いのちの神の流れ」の邪魔をしているという、そういうことなんですね。

ですから「誠の道」と言っても、そう難しく考える必要はない、ということではないでしょうか。

どの祓いにも「祓うべきベストタイミング」というものがある

そして、次に問題なのは、いつ祓いをすれば良いかということになりますが、その祓いをするには、実は、その祓いを行うべきベストタイミングというものがあります。

しょっちゅう「修祓(しゅばつ)」というお祓いをしてさえいれば良い、というものではありません。

それは極めて効率が悪く、しかも効果が薄いものです。 

「祓いに始まって祓いに終わる」というと、年がら年中「祓い」をしていれば良いと考える向きもおられるかもしれませんが、そうではありません。

そのタイミングについて言うならば、実は「絶好の唯一のタイミング」というものがあるのです。

このことは、実はとても大切で、その「唯一の絶好のタイミング」でお祓いをするから こそ、ピンポイントでそのネガティブマインドそのものに照射されて「マカゴト(災い)」が瞬時にして消えてゆくという仕組みになっています。

ピンポイントのタイミングを無視して、漠然と祓言葉を述べている多くの人々がやっているこれまでの祓いというものは間違いとは言いませんが、ピンポイントではないという点で、その効果は甚だ薄く、低いと言えます。

だから漠然とした対象に祓いをしている従来の修祓(しゅばつ)の効果は極めて低いと思います。

一般の漫然として行なっているお祓いは、ピンポンピンポイントではない、という点でやらないよりはいいという程度の祓いの効果しかありません。

罪穢(つみけが)れの実体とは「ネガティブ・マインドとその感情」のこと

それと、祓いといえば、神道の世界では罪穢という古典的な言葉を直ちに連想するかもしれませんが、実は人々が日常に起こしているネガティブな何かに対する不安や恐れ、人との間に生ずる憎しみや恨みや怒りなども全て祓いの対象となるという認識が重要です。

そういったネガティブなマインドや感情こそが、実は、昔から言われている「罪穢れというものの実態」だからです。

なぜならこのネガティブマインドや感情が沸点に達したものが様々な不幸や不運な災いを起こしている元凶だからです。

人生は誰にとっても、あらゆる点でいつも順調で順風満帆(じゅんぷうまんぱん)とはいかないのが常です。

そうした際に、必ず起こってくるネガティブマインドと感情はしこりとなって心の奥底に溜まっていくのです。

それを放っておけば、潜在意識の中で少しずつ醸成されて、その人の肉体や日常での色んな事故や事故や災いとなって噴出してきます。

忘れてしまっても、潜在意識に蓄えられたそうした罪穢れは、必ずやがて現実化して再現されるのです。

この点では、ハワイで起こったホ・ポノポノの教えは正しいと思います。

それを除災招福とか厄除けとしてピンポイントではなくて、大雑把にお祓いをしても、本当はその人の潜在意識の中のネガティブマインドや感情を直撃しないので、消去するには至らない、のではないかと思います。

だからこそ、ほんとうに祓う為には、ピンポイントとベストタイミングというものが、何といっても不可欠なのです。

そして、そのベストタイミングというのは、その人の意識の上に、かなり強い恐れや不安な思いとして、或いは、ある人への激しい怒りや嫌悪感、恨みとなって上ってきます 。

その時がベストタイミングなのです。

その具体的な思いや感情こそをピンポイントで祓うということです。

そうした負の感情は、自浄するべく「その人のネガティブマインドをなくして欲しい」という本能の叫びから出てくるのですから、その時こそが、そのネガティブマインドの感情を処置する絶好のタイミングでありピンポイントとなるのです。

この時お祓いをするのがベストチャンスなのです。

そういう恐れや不安や不快な感情が襲ってくる時こそが、ピンチを知らせる警告であるからです。

まさにピンチがチャンスと言えるでしょう 。

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