俳句による波動調整という禊祓(みそぎはら)い

俳句が波動調整という一種の禊祓(みそぎはら)いであるお話をします。

前回 、「成功の法則」の基本とは何かについて次のような話を申し上げました。

禊祓(みそぎはら)いには様々な方法がある

「自観瞑想法、みそぎ祓い、感情の曇りの消去」➡「ムスビ、相手と一体になる」➡「祈り、心願」➡「実り、物事の成就」という経緯をたどって「願望」というものは、いい方向に行くと思います、と。

言い換えますと、<祈りの前提には「禊ぎ祓い」が必要である>ということから、前回はその一つの方法として「自観瞑想法」という方法を提示したわけです。 

そしてその解説をしました。

まあ、この「禊ぎ祓い」によって、然る後に「祈る」、という願望実現の方法とは基本的には神道的なパターンではありますが、前回はこの禊ぎ祓いの一つの方法として 「自観法」という特殊な方法を取り上げてみたわけです。

それで思い起こしますのは、キリスト教のカソリックでは、神様の代理としての神父さんとの極秘の一対一の懺悔室で、心にわだかまり溜まっている罪深い感情の曇りを洗いざらい懺悔する、という形をとっていますが、あれも立派な一つの禊ぎ祓い(みそぎはらい)だと思います。

カソリックの告解

そこで人々が祈る前に行う不可欠な心の整理としていろんな方法が、古今東西にあるわけですけれども、今回取り上げてみたいのはその禊ぎ祓いによって象徴される心の状態の調整、これを一言で言うと「波動調整」ということになるかと思います。

自分の講演のお知らせ

次に、私事で恐縮ですが、今度、東京お茶の水で「弓前文書」をからめて神道の講演をする予定があります。

この下にそのお知らせが掲載されている「パンドラの箱は開けられた」に載っていますので興味ある方はクリックしてみてください。

様々な「波動調整」の仕方

この「波動調整という言い方」は、おそらく現代科学の量子力学的な視点から発せられた表現だと思いますが、要は、目に見えない量子力学レベルにおいては、意識や感情も一つのエネルギーとして捉えて一つのの波動という表現が出てきたのだと思います。

そんな「波動調整」で思い出すのは、ハワイに昔から伝わる秘宝とされる「ホ・オノポノ」の手法です。

「ホ・ポノポノ」で実行する「愛してます、ありがとう、ごめんなさい、許します」 という言葉の復唱によって「道徳的な波動調整」をすることで「思いを実現する」という手法も同じ考えからだと思います。

これもひとつの神道的に言えば「禊ぎ祓い」に当たると言えるかと思います。 

「禊ぎ祓い の文芸」としての俳句

さらにはこの日本においては、この「禊ぎ祓い の文芸」と言うべきもの として、

短歌、俳句、川柳などがありますが、その中でも俳句は人の心に慰安ややすらぎや平安をもたらすことに優れた世界ではないかと密かに考えます。

例えば、

よく見れば

    なずな花咲く

           垣根かな

と言う芭蕉の句があります。 

なずな、というのは本当に小さい花で、俗にぺんぺん草と言ってどこにでもあると思います。

しかし、この句から、自然という神がこんなところにも美しく、しおらしく逞しく小さな花として自らを装いて生きていることがわかります。 

その花の神を見ての感動から、思わずこの句を詠(よ)んでいる芭蕉の心は その花の心と共感、共振して、激しくしかし静かに喜んでいるように思えます。

芭蕉立像

そこには感動と慰安 と心の安らぎがあります。 

そういう意味で、わたしは俳句というものも「波動調整」という「禊ぎ祓い」を してくれるひとつの立派な手段だと思えるえるのですが皆さんはどう思われますか。

     高浜虚子

現代俳句の始祖とも言うべき人に正岡子規(まさおかしき)と高浜虚子(たかはまきょし)と言う有名な俳人がいます。

その高浜虚子の言葉に次のような名言があります。

俳句は、絶望に近い人間に一点の慰安を与える「極楽の文学」です」

また、「いかに窮乏の生活にいても、いかに病苦に悩んでいても、一たび心を花鳥風月(かちょうふうげつ)に寄する事によってその生活苦を忘れ、病苦を忘れ、たとい一瞬時といえども極楽の境に心を置く事が出来るのです(『俳句への道』)」という発言があります。

秋元不死男という人も次のように述べています。

「文芸の世界で自殺をした著名人は作家に最も多く、つづいては詩人。

短歌や俳句のほうで名の知れた人が自殺したという話は、ついぞ聞いたことがない。

俳句界に至っては皆無だ。

むしろ、いのちを大事にして長寿を完(まっと)うする人が、俳句界には絶対に多い」

(「子規・自殺・俳句」/『明治への視点』)と。 

また俳人の黛(まゆずみ)まどかさんという方も、

「 俳句という型式が饒舌(じょうぜつ)な叙情を拒む。むしろ思いを詠まないことで余情が生まれる。

ゆえに俳句は作者の思いを昇華させ、辛(つら)い体験や嘆きを癒やし浄化してくれる」と。

「辛(つら)い体験や嘆きを癒やし浄化してくれる」とは、まさに一種の「禊ぎ祓い」であり「波動調整」にほかなりません。
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俳句の成り立ち

俳句は季語(きご、特定の季節を表す言葉)というものを入れて 、五七五の一七文字の 短い詩なので簡単そうに思えますが、作句するとなると、これがなかなか難しいところがあります。

まず、一物仕立(いちぶつじた)て」と言って 、季語のことだけで一句を構成する作り方があります。

一物(いちぶつ)とは「季語」のことで、 一つの対象物の季語にだけ意識を集中させ、 その状態や動作を描写するものですが、観察には観察を重ね、 これまでにない新しい発見や視点から表現するから、これは初心者にとっては大変難しいんですね。

  誰もが見ているような中途半端な描写しかできないのが普通です。

結果、ありきたりで、詠んでも面白くない句しかできないものです。
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「取り合わせ」という方法

次に「取り合わせ」というやり方があります。

それは

五音の季語 +季語とは関係がない十二音の俳句の種、という形です。

まずは「俳句の種」を作ることからはじめる。

なぜか?

なぜ「季語」から作らないかというと、季語を先に決めると、その季語のイメージに引っ張られて、どうしても季語の状態を説明するような句になってしまうからなんです。

それと、「俳句の種」を十二音には季語を入れないこと。

そこにも季語を入れると「季重(きがさり)」の俳句になります。

これはご法度(はっと)です。

これは、原則として、やってはいけないのです。

この俳句のコツとしては、まず「十二音の俳句の種」をつくってから、「俳句の種」にあうイメージの季語をみつけるというやり方がいいようです。 

はじめのうちは、十二音の句が、悲しそうな調子なら悲しそうな気分を表す季語を、楽しそうな調子なら楽しそうな気分を表す季語を選ぶようにする。

以上のような要領で始めてみてはいかがですか。

しかし、実際に作るのが今はしんどいと思われる方は、まずは過去の俳人たちの名句に触れるだけでも十分に「禊祓い(みそぎはらい)の波動調整」ができるものです。

ついでに、過去の偉大な俳人たちの私好みの名句をあげておきます。 

正岡子規 (まさおかしき)

いくたびも 雪の深さを 尋ねけり

子規は病床にあって直接雪を見ることが出来ないので、誰かに何度も雪の様子を尋(たず)ねていたのです。

高浜虚子(たかはまきょし)

  いつ死ぬる  金魚と知らず  美しき

  桐一葉    日当たりながら 落ちにけり

 正岡子規         遠山に    日の当たりたる 枯野かな

中村草田男(くさたお) 

      勇気こそ地の塩なれや梅真白   

      降る雪や明治は遠くなりにけり

水原秋桜子(しゅうおうし)

      啄木鳥(きつつき)や落葉をいそぐ牧の木々 

     

       

中村草田男

            

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