「よりよく生きるとは何かを知る」為の三つのヒント

より良く生きるとは何なのか、を知るための三つのポイントの話をします。

その三つとは次の通りです。

1、大宇宙の本質を知るということー二つの大宇宙ー

2、大宇宙と自分との関係ー大我と自我

3、自分と自分が写す現実世界(バーチャル・リアリテ・)との関係を良くする最高の方法は

「欲を越えたこころの状態にすること」です。

欲を越えて身の回りの人々に喜びを与えること

以上の三つを知ると、おおよそ「より良く生きるとはどういうことなのか」ということかがわかってくるかと思います。

般若心経という仮説

仏教というものを理解するのに最も手っ取り早い経典があります。

有名な般若心経(はんにゃしんぎょう)という経典です。

この中の教えは、一言で言えば「色」という目に見える物質世界は「空」という目に見えない霊的な広大な広がりを持っている宇宙大生命から成り立っているという 哲学です。

これを「色即是空(しきそくぜくう)」と般若心経では表現しています。

ですから、この大宇宙の本質、その本体というのはどこまでも目に見えない非物質的なものだということがわかります。

その「空」から目に見える物質世界、今見ている物質の大宇宙が現れて来た、というのです。

このことを「空即是色」と般若心経では言っています

「空」こそがその本体だと言うのです。
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「二つの大宇宙」

要するに、この世界は見えない世界も含めて「二つの大宇宙」があるということです。

一方の「空」から生まれた目に見える色の世界は、ご存知の通り、 生まれては死ぬ、その繰り返しから成り立っている有限な世界です。

ですから、これは相対的に成り立つ世界なので「相対界」と言います。

しかしこれを生み出している大元の「空」という宇宙大生命は、その反対に「生死」というものもない「霊の世界・零(0、れい・ゼロ)の世界」、「無限界」ですので「絶対界」といいます。

ですので、この目に見える物質世界の相対世界は、本源にして大元である絶対世界を映し出し体験する場所として の「映(うつ)し世(よ)」のために存在しています。

この 我々が見ている物質世界である森羅万象の世界の 縦・横・高さの三次元の世界 は映画のスクリーンのような場所であり、それゆえにこそ「映し世」というわけですね。

まあ一言で言えば、織田信長が歌った謡曲のセリフにあるように、この世は「夢幻(ゆめまぼろし)のごときなり」の世界だというわけですね。

また、その後継者の天下人(てんかびと)であった豊臣秀吉も歌ったように、この世は「露と置き露と消えゆく我が身かな 難波(なにわ、大阪で栄華を極めたことなど)のことは夢のまた夢」であります。

つまり、わたし達も般若心経の世界から言いますと、空である「絶対の世界」がわたし達の実在の世界であって、その絶対の世界の中にあるものを「はかない仮の世の相対世界」に映し出して 体験して元の世界に帰って行くという旅をしているということです。
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「人は神から生まれて神に帰る」という仮説

神道の世界では昔から「人は神から生まれて神に帰る」という言い伝えがありますが、実際には「人は神から生まれてはいるが、肉体に宿ることで神であることを忘れ、やがては神として帰っていく」旅を続けている、というのが真相です。

ただし、この世を終えて直ちに神に帰っていく人は極めて稀で、まずいなくて、何度も輪廻転生を繰り返して神として帰っていくようです。

お釈迦様はこの世を去る時に「私は再びこの世に生まれてくることはない。これが最後身である」とおっしゃってこの世を去られました。

又こんな言い伝えもあります。

「悟りを得た菩薩(ぼさつ、)の家は絶える」と。

一般には「子孫繁栄」を願いますが、それは生まれ変わる必要が無くなったからなのでしょう。

この言葉は私の師匠、池田秀穂先生からお聞きしました。

現に自分の家がそうだ、とおっしゃっておられました。

ですから、この世が「映し世」だというのは、これまでは自分がいて、自分以外の何か確固とした客観的な世界が外にあって、それが現実世界だと思っていたと思いますが、そうではないことに気づいていくということがとても大事だと思います。

人は元々、大宇宙生命の大宇宙意識の分霊(わけみたま)として、これが「神から生まれて」という意味でありますが、そしてそれぞれが一つの視点として、あるいは一つの支店として自分の世界を創造し体験し味わうために存在しているということなのです。

あなたは、今、現に空間と言う360 度立体のバーチャルなスクリーンに自らを映し出してその現象世界に自分の心の内面の世界を外に見ているのです。

とはいうものの、私たちの意識の一番奥深くには、何度も申しますように、大宇宙意識そのものの分霊が内在していますから私たちの意識を司り、コントロールしてるのは、実は私たちたち自身ではなくて大宇宙意識なのだということができます。

ですから、私たちの肉体意識ではなくて、すなわち、自我ではなくて、我が身の真我の魂においては、すべて「思考は現実化し」「思いは実現する」ということが100%その通りなのです。

だが、肉体の自我意識(表面意識)のレベルでの想念は、必ずしも「その想念は実現する」わけでもなく「思考は現実化する」とは限らないのです。

この点において、巷で流行っている「繰り返し潜在意識にインプットしたものは必ず実現する」ように説いている多くの「自己啓発」の思想哲学は間違っていると思います。

ですから、「一見不幸と思えることが起こっていても<すべては上手くいっています>という意味」はそのような意味なのです。

「禍福(かふく)は糾(あざな)える縄あざな(なわ)の如し(幸福と不幸が交代でやってくる)」ということわざがありますが、そのような人生がたいがいの人に訪れると言うのはそういう理由からなのです。

これに似たことわざに、「人間万事塞翁(さいおう)が馬(人生における幸不幸は予想できないもの)」 とありますが、誰にでも人生に起こってくる諸々の出来事は肉体の自我意識ではなかなか理解できないものだということもよく分かります。
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欲や見栄を超えると道は拓ける

そこで、このような「禍福が交代でやってくるような人生」とか「幸運がいつ来るかわからないような<人間万事塞翁が馬>」を越える道はないだろうか、ということを考えてみたいと思います。

この問題の解決は、やはり、結局は、ひとえに「心の問題」に帰結します。

その秘訣はと言えば、やはり、どうやら「欲や見栄を超える」 というところにあります。

好き嫌いや損得にこだわった生活をしていては、どうしても閉ざされた根っこの心が身についてしまいます。

根っこの心が閉ざされている状態では、いつになっても「運が開ける」ということはないのです。

なぜなら、基本的には、運というものは「心が開かれた状態」からしかやってこないからです。

ではどうしたら「開かれた心の状態になるか」ということになりますが、それは 

1、身の回りの人々の幸せを願うこと、1分でも3分でもいいから周りの人々に喜びを与え  る生活を心がけること

2、大きく言えば、「世界の恒久的な平和実現を常に真剣に心から願う」志を持って生きること

こうした「開かれた心の状態」になると、必ずや思いがけない朗報が向こうからやってくるとか幸運な何かが次々と起こるようになるようです。

電気炊飯器とか自動ドアとか魚群探知機とかその他の発明を世の人々の為に次々になされた政木和三(まさきかずみ)先生も「欲望をなくせば不可能が可能になる」 と何度も断言されています。

政木和三先生

欲望は人のこころをどうしても閉ざすのです。

欲望あると、「内なる大宇宙意識の分霊(わけみたま)」から常に流れくる智慧や恵みや幸運を閉ざすようになるのです。

欲を捨てて「心が開かれた状態」にし、「人が喜ぶ顔を見たくて仕事をしている」と幸運というものは頼まなくても向こうから自然とやってくるようになるのです。

このカラクリについては、いつかもっと深く考えてみたいと思います。

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