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今回は、長い目で見た「運を味方にし、運を貯める」生き方はあるか、あるとすればどうした「こころ」の在り方を持ち、またどんな行動指針があるか、を考えてみたく思います。
運を味方にする生き方
前回、欲望はどうしても人の「ころを閉ざす」ものであるということを申し上げました。
欲望があると、どうしても「内なる大宇宙意識の分霊(わけみたま)」から常に流れくる智慧や恵みや幸運を「こころ」で閉ざすのです。
毎日の日常の生活をなるべく目先の欲を捨てて、できるだけ「心を開いた状態」にしておくということがとても大事 なのです。
「欲が心を閉ざす」なら、いっそのこと欲をなくす、ということになりますが、それは生きている以上できません。
無くなったような状態にするということです。
それには二つの方法があります、それ以上あるかもしれませんがとりあえず思いつくのは二つです。
一つは、「大欲は無欲に似たり」と言いますように、人が一生かかっても到達できるはずがないようなとても大きな欲望を目標にすることです。
ほとんどの人が、比較的小さな欲望、例えば豪邸に住んで高級外車に乗って美女とあるいはイケメンと不自由なく暮らす、というひょっとしたら叶いそうな程度の欲望だから、これは「目先の欲望」に属しますのでダメです。
またこうした願望はそれだけでは仮に達成したとしても満足がなかな永
続しない、幸せとは何か違うな、ということが起こるかと思います。
人間はそういうふうに霊と肉とからできているからです。
このことはどうしてかは後で分かります。
ですから、一生かかっても絶対到達できないような超特大の欲望を持つことが大事です。
するとそのような欲望は忘れてしまうでしょう。
ですからこれが 無欲になれる一つの方法です 。
そうすると「心が開いて」きます。
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「利他のこころをもって利己の欲望を大きく包みこむ」
もう一つの第二の方法は、欲を捨てる と言っても、心という形のない世界なものなので、捨てようと思っても捨てられるものではありませんから、捨てるのではなくて、もっと大きな「広い利他の心」で包み込むということになります。
ただ、この「心が開いている」状態というものは、今ひとつ何を言っているのか分からない、と思われる方もいるかもしれません。
それは常に小さな利己的な欲望を持っている私たちの「閉ざされた心」からみると、 「開いてるこころの世界」が分からないからです。
「心が開いている」 状態というのは「何か善行のような良いことをした時の心の開き、こころの解放感」という言い方だとよく理解しやすいかもしれません。
つまり、この世は因果応報の「善因善果」「悪因悪果」という法則で動いていますが、善行を積んで善果を得る世界は「こころが開いている」状態なのです。
「積善の家には必ず余慶あり」という格言も同じ法則の下にあるものと思われます。
そういう心の状態で「心が開いていれば」必ず本来の自分自身の可能性が実現していく方向に動き出すでしょうし、それと共にそれを助ける周りの状況という幸運が向こうから整ってきます。
つまり、心が開いていれば運は向こうからやって来るのです。
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運は貯(た)められる
そういう意味では「運は貯(た)められるのです」ね。
良いことをしたらば運が貯(た)まる。
その代わり、悪いことしたらそれ相応に運は減る 。
ですから、良いことをして運を味方にしていけば、幸せは何十倍にも膨れ上がっていくということです。
確かに人間は生まれながらにして平等ではないと思います。
第一に、生まれた時に持っているもの一つをとっても、各人に差があります。
これは一つのたとえ話ですけれども、運の札は毎日誰にも同じ数だけ配られ発行されています。
良いことをしたら その運の札がたまります。
しかし悪いことしたらすぐにその部分の札は減るようにできているのです。
人を殺すようなことをすれば、その人の運の札は 完全に無くなり一巻の終わりです。
ですから運はどうしてもこれを使いこなさなければなりません。
そういう意味で、運はその人の行いで味方にすることができるのです。
どうしてそういうことが言えるかと言いますと、人のそういう行為は一つ一つすべて潜在意識の中にインプットされ刻まれていくと言う意味でその人の運命を形作っているということです。
そういうふうにできていると考えられるからです。
「そんなことは信じられない」ともし思われるのであれば、それはそれで、それがあなたの運ということになります。
なぜなら、あなたにとっては、この世という現象世界は、あなたの潜在意識を通しての心というものによって、バーチャルリアリティとして創造され、形成さているている世界だからです。
これが自己啓発の世界で「鏡の法則」といわれるものです。
ですので、欲を無くし「開いたこころ」の畑に運の種をたくさんまいて運を貯めていくのです。
その運の種はゴミを拾うとか、困っている人にちょっとだけでも手助けするとか、日常の中で人の役に立つほんの小さな善行でいいわけです。
人には思いやりと親切の心をもって接し、困っている人には誰もができる範囲で親切にし、
お互いが思いやり、支えあうことでよりよい社会を築くことを目指している「小さな親切運動」というものがありますが、まさにこれも「運を貯めて運を味方にする」立派な方法であり生き方だと思います。