「度一切苦(問題を解決すること)」が出来ない般若心経の解釈はいかに学問的でも価値がない

前回に引き続き般若心経のとてつもない真理の世界に早速入っていきます。

色即是空  空即是色とは

般若心経の前回に続く文言は次の通りです。

しゃ り し  しき ふ い くう  くう ふ い しき しき そく ぜ くう  くう そく ぜ しき じゅ そう ぎょう しき やく ぶ にょ ぜ

 舎利子 色不異空  空不異色 色即是空  空即是色 受想行識亦復如是

舎利子(しゃ り し)というのはお釈迦様の弟子ですが、ここでは我々を代表するものとして考えるといいと思います。

そこでここでの「舎利子はだから「皆さん」、という呼びかけの言葉ととっても良いのです。

舎利子(しゃ り し)のみに語りかけているわけではないからです。

「色不異空」 とは「色は空に異ならない」というのは文字通りの解釈ですが、これでは分かりにくい。 

そもそも「色」 とは何か、「空」とは何か、 ということをここでおおよそでいいので決めておきたいと思います。

以下述べる「色と空の解釈」は前代未聞だと思います。

従来の説と一致するところと全く違うところとが出てくると思います。

そうでなければ般若心経は「実に分かりづらい」お経となると思います。

「色」とは、「カタチある実体がない世界」のことです。

目に見えるこの物質世界ないし現象世界、森羅万象 、生まれては必ず死ぬ世界、消滅する世界、常に変化する世界なので、そういう意味で実体のない世界のことです。

そして、色の世界とは「絶対世界である空の世界」に対して「相対的世界」のことです。

「空」とは、「カタチのない実体の世界」のことで「何もない世界」ではありません。

「何もない世界」などと言う従来の解釈はとんでもない間違いです。

多くの人々は空を何もない世界、空虚な世界、虚しい世界と捉えるのですが、般若心経の世界では「空」はその反対の、カタチがないというだけで実は何でもある実体の世界、無限の世界のことです。

ですから「彼岸の世界」とは実はこの「空の世界」のことになります。

一般の従来の解釈だと「彼岸」とは「さとりないし涅槃(ねはん)」とは説明されるけれども、これを「空」の世界として見る正しい見方はこれまでありませんでした。

だから色と空との関係がよくわからないということになり、結局般若心経は何を言っているのかよく分からないということになるわけなのであります。

と言うか「色」の世界の虚しさを「空の世界」ととらえるまことにお粗末で浅い言葉だけの解釈に終始しているわけです。

それというのも、般若心経の「 色不異空  空不異色 」という表現自体が確かに誤解を招く表現だといえます。

これでは色そのまま=空 と取られかねません。

そんなことはあろうはずもないのに、そのように解釈する般若心経が後を絶たないというわけです。

これでは何の救いにもなるはずがありません。

空不異色」とは、空というカタチの無い実体が色という実体のないカタチになっている、ということです。

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「度一切苦」が出来ない解釈はいかに学問的でも価値がない

「能除一切苦厄」とか「度一切苦」の世界はそんな解釈からは絶対に出て来ないのです。

実は、ここがとても大事な点です。

「度一切苦」、一切の人々の苦しみを解決できるかどうか、でその解釈が正しいかどうかが決定します。

いかに理路、理屈が正しいように見えても、いかに学問的でも、肝心の「度一切苦」が出来ないのなら、その解釈は何処かが間違っているのです。

さて、話を戻して、「色不異空」とは「色は空に異ならない、同じである」という意味ではなくて「カタチのある色は カタチのない実体である空から出てくる、ということです」

「空不異色」とは「カタチのない実体がカタチを生んでいる」ということなのです。

だからこそ次に「色即是空」 (カタチある色がカタチのない実体の空になり)「空即是色(カタチのない実体の空がカタチのある色になる)」 と言い換えて、この色と空の両者の関係をより明らかにしようとしているわけです。

 受想行識亦復如是(じゅ そう ぎょう しき やく ぶ にょ ぜ)とは「感受することも思いも行いも死ぬことも必ず変化します。変化するからこれらは色に属する」という意味になります。

全体を通して言うと次のようになります。

「皆さん、カタチある色は常に変化するから実体がありません。カタチのない実体である(空)がカタチ(色)になるのです。カタチのあるもの(色)がカタチのない実体である空に帰り、カタチのない実体の空が色というカタチになる。感受することも思いも行いも知ることも必ず変化して行く色の世界なのです」
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色の世界は常に変化するがゆえに楽しい

この目に見える世界は変化する色の世界ですが、変化するからこそ楽しく面白い世界でもありす。

変化するからこそ、例えば仮に病気になっても好転する機会が訪れるのです。

なぜなら「病気になっても人は生きています。」

そして、その生きている存在を根底から支えているのが「何でもある絶対界の空の世界」の生きることに対する「無条件の喜びの世界」なのです。

周りを見渡してみてよく見てください。

動物も花も木々も山も川も、そして人の赤子も天に輝く月も太陽も星も、全ての自然は皆喜びにあふれています。

それはこれら自然を根底から支えているものは般若心経が「空」と呼んでいるカタチのない実体の”いのち”の”無条件の喜び”があるからです。

その喜びの世界から自然治癒力もやってきます。

これに委ねて心を穏やかに過ごせば病気は必ず快方に向かうのですが、多くの人はこのカラクリが分からないために、生きることを支えているその絶対界の「空という”いのち”」の存在よりも、病気の方に心を集中させて心配・不安・恐怖の心を起こしてしまうので、そんな心を起こさなければ自然と 快方に向かう病気を逆に悪化させてしまうのです。
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不生不滅 不垢不浄 不増不減  とは「空の世界」のことです

次に移ります。 

 しゃ り し  ぜ しょ ほう くう そう ふ しょう ふ めつ  ふ く ふ じょう    ふ ぞう ふ げん 

 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減  

まず「是諸法空相」とは「すべて有形無形の現象には実体がなく、現象として表しているのがカタチのない空という実体なのです」ということです。

そして「不生不滅 不垢不浄 不増不減  」とは「形のない実体は生まれることもなく滅するということもない、汚れることもなく清くなることもない、増すことも減ることもない」であるが、これは「空相」の空のことを言っているのに、これを色のこととして解釈している大間違いを起こしているのがほとんどの従来の解釈です。

すなわち色の世界を元々無い世界であるから「生まれもせず滅することもない」などと解釈しているのです。

これ大いなる誤りです。

生まれることもなく滅することもないのは絶対界の「空」の”いのち”の世界のことです 。

ですから全体の意味は次のようになります。

「皆さん、全て有形無形の現象には実体がなく現象として表しているのは形のない空という実体なのです。空というカタチのない実体は生まれもせず無くなることもなく、汚れることも清まるごともなく、増すことも減ることもないのです」 となります。

次に,

 ぜ こ くうちゅう  む しき む じゅ そう ぎょう しき   む げん に び ぜっ しん い む しき しょう こう み そく ほう

是故空中 無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 

ですが,全体を訳した現代文は次のようになるかと思います。 

「カタチのない実体を認めると、目に見える世界も感じ思い行い知ることも、耳・鼻・舌・身体・意識も目に見える物質界も声も匂い・味覚・触るものも常に変化するからには実体のないことが分かります」

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