”こころ”、”いのち”、”わたし”にはそれぞれダブルスタンダードがある

前回は、その木の良し悪しはその実によって知られるということ。

般若心経のどの解釈が正しいかは、「度一切苦(よく一切の苦しみを取り除くこと)」が出来るかどうかで自ずからわかる、ということを申し上げました。

どんなに学問的に見て正しいと思われても(そういう場合はただそう見えるだけですけれども)、般若心経の真髄というものはこの真理を知ることによって人々が悟りを得てあらゆる苦しみ悩みを解決することができないのであれば、そんな学問はどうでもいいものです。

何故なら般若心経自体が「度一切苦厄」をうたっているからです。

二度もです。

そうでなければ、看板に偽りありです。

しかし学者はこの大事なことにはなるべく触れないように解説しています。

いかに精緻を極めて論理的に正しくても、何の役にも立たない科学は不要であるように、そのような般若心経のサンスクリット語の学問的考究など人々が心から求めるものではありません。

そんなことは暇人がやっておればよい趣味にすぎません。

そんなことをやらせている国立大学の先生に国民から集めた税金から給料を支払う必要はないのです。
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「空という彼岸」に至る智慧とは

今回は次の句からです。

む げん かい  ない し む い しき かい  む む みょう やく  む む みょう じん

無眼界 乃至無意識界 無無明亦 無無明尽 

ない し む ろう し  やく む ろう し じん  むくしゅうめつどう むちやくむとく

乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得 

い む しょ とく こ ぼ だい さつ た え はん にゃ は ら みっ た こ

以無所得故 菩提薩埵  依般若波羅蜜多故 

無眼界とは、目に見える世界のことですがそれもなく、無意識界とは意識される世界のことですがこれもなく、無明とは人間の根本的な無知のことですがそれがなくなるということもなく、無老死とは老死にこだわることもまたこだわらないこともなく 、無苦集滅道とは、そうしたカタチへのこだわりから逃れる道もなく、 といった意味です。

無智亦無得 は、それを知ることも得ることもなく です。

そして、以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故と は、そうした形へのこだわる道もそれを知ることも得ることもなく「ただ”こころ” にはカタチのないという事実をただ素直に認めることがとても大事だということです。
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”こころ” にはカタチがないという発見

私自身、この気づきによって世界が一気に広がりました。

”こころ”にはカタチがないという事実の発見は、一気に私の世界を越えてこの大自然界、大宇宙界にまでに広げてくれたのです。

次は、

しん む けい げ  む けい げ こ む う く ふ   おん り いっ さい てん どう む そう

心無罜礙  無罜礙  故無有恐怖  遠離一切顛倒夢想 

くう ぎょう ね はん   さん ぜ しょ ぶつ  え はん にゃ は ら みっ た こ

究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故 

とく  あの く た ら さん みゃく さん ぼ だい 

  得阿耨多羅三藐三菩提  

ここで心無罜礙(しん む けい げ)という言葉が出てきましたがこの言葉の意味するところが極めて重要であります。

”こころ”には、カタチがありません。

ここが実は極めて重要な突破口になるのです。

それが悟りへの重要な突破口になるからです。

”こころ”にカタチがない、ということは”こころ”には肉体のような境がないということです。

境がないということはきりがない、果てしなくきりがない、無限だということです。

宇宙に果てがあるかどうか分かりませんが、それほど広く大きいのが”こころ”の実相だということです。

この”こころ”が 広大無辺なことは、心が持っている超常現象によってもうかがうことができます。

心は、携帯電話の電波のように地球の反対側にでも、一瞬にして飛んで行きます。

”こころ”は地球の反対側にも届く、例えば「心と気のエネルギーで遠隔治療によって治療をする」ことや、戦地で亡くなった息子がちょうどその時刻に母親の夢枕に立つと言った心の働きとか、近年にわかに明らかになってきたシンクロニシティと呼ばれる「意味のある偶然の一致」などは全て広大無辺な心の働きに他なりません。

 そして話は少しそれますが、色即是空 空即是色の世界から私は次のようなヒラメキを得たのです。

そのきっかけを与えてくれたのは「こころにはカタチがないという心がある事実」の発見からでした。
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”こころ”、”いのち”、”わたし”にはそれぞれダブルスタンダードがある

そして、心にも形がない世界と形のある世界の二つの世界があるのではないかと思えるようになりました。

形のある心の世界とは 肉体に付随しているこころのことです。

それは肉体と不可分に結びついているので「形がある心」と言えると思います。

それが色の世界の心です。

しかしそれ以外の心には形がなく広大無辺だということです。

それが「空の世界」に属する 「カタチの無いこころ」だと思いました。

そこで命も二つの世界があるように思えました。

一つは肉体生命、もう一つは形のない霊的生命、前者は色の世界で後者は空の世界での命です。

そして私も「私と言う色の世界の私、一般に自我と呼ばれる肉体我、赤ん坊の時と七十歳になった時の別の私」と「わたしという赤ん坊の時から七十歳になっても変わらない”わたし”」の二つの私です。

”わたし”、”こころ”、そして”いのち”には それぞれが「色の世界」と「空の世界」に属するダブルスタンダードがあるという発見です。

実にこのヒントは般若心経の色と空の世界からの発見です。

話は戻りますが、「心無罜礙(しん む けい げ)」とは、カタチがなければ心にはなんの引っかかりもないということです。 

だから、故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 すなわち恐怖はなくなり、 これまでの「色の世界」と言う本来無い世界を有るとし、「空の世界」という本来有る世界を無い、としていたこれまでの逆さまの考えから完全に自由になり、解き放たれて行くのです。

以上を要約しますと「カタチがなければ逆に、<何でもある>ということです。

だから恐怖はなくなりこれまでの逆さまの考えから自由になっていくのです」 

次は、

さん ぜ しょ ぶつ   え はん にゃ は ら みっ た 

三世諸仏 依般若波羅蜜多故 

ことく あの く た ら さん みゃく さん ぼ だい 

  得阿耨多羅三藐三菩提  

ですが、ここはそんなに難しいところではありません。

要約しますと、

「自然にはここからここまでという範囲がありません。

時間空間に制限がないのです。

三世の諸仏もこのカタチのない実体の空を知り彼岸(空)に至る般若の智慧によって悟りを得たのです」 となります。 

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