親鸞聖人の「弥陀の本願」と中村天風の「空」は同じものを見ている

中村天風という人物がいます。

名前は聞いていましたけれども、どういう哲学の信念の持ち主かは分からないでいましたが、アメリカのメジャーで活躍している野球のエンゼルスの大谷翔平は密かに拝読してる本が中村天風の「運命を拓く」という本なのだそうです。

京セラの創業者の稲盛和夫氏とか日本電産の永守重信会長など多くの財界人が座右の書としてこの天風先生の本をあげていて知る人ぞ知る人生哲学者だそうです。

そこで私は昔の剣の道を志す人が道場を訪れて腕試しをするように、天風先生の哲学・宗教がいかなるものであるのか、を知りたくなって、つまり今まで自分がやっと到達している宗教哲学の観点から見てどう見えるかを知りたくなった次第です。

それで、この先生の本を少し読んでみた感想を申し上げます。 

その話をいたしたく。

人のほんとうの生まれ故郷はどこか?

天風先生が悟りを開く前の 話です.

あちこち世界を放浪していた時のこと。

カリアッパ先生という人物に出会って天風先生はインドの山奥に連れて行かれていった時の話です。

修行が一向にはかどらず 、その先生も積極的に天風先生に肝心な教えを垂れてくれないので、ある日、天風先生「私は生まれ故郷へもう帰りたいです」

と言うと「どこへ」と聞くので「生まれ故郷の日本へ」と答えると、カリアッパ師は「ここにいても生まれ故郷へ帰れるじゃないか。ここにいても、死ねば生まれ故郷へ帰れる」というのです。

「私(天風先生)は生まれ故郷に帰りたいです」と言うと、 「人間は誰でも一番しまいには一番最初の生まれ故郷に帰れるのだよ」とカリアッパ師から言われた時、天風先生は、この先生何を言ってんのかがわからなかったそうです。

そこの件(くだり)を「天風先生座談」(中村天風述) からそのまま引用します。

「闇の夜に、鳴かぬカラスの声聞けば、生まれぬ先の父ぞ恋しき」

生まれ故郷というのは、これだな。あなた方。何市何町に生まれたのが生まれ故郷だと思うだろうけれども、一番はじめはそれじゃない。

この宇宙の中の見えない気体の中にあなた方がいたのが、父から母と出会って、あなた方が出てきたんだけれども、一番先の故郷のことは、闇の夜に、鳴かぬカラスの声聞けば生まれぬさきの父ぞ恋しき、 というところが生まれ故郷 なのだ。 というのです。

これはなかなか深い話です。

天風先生が日本の故郷に帰りたいと言えば、その先生は「人間は誰でもしまいには一番はじめの生まれ故郷に帰れる」という。

その生まれ故郷というのはこの現実世界のふるさとのことではない。

禅風に言えば 「父母未生以前(ふぼみしょういぜん)の本来の面目」といったところでしょう。

この肉体を生んだ父母から生まれた自分ではなくて、それ以前の”いのち”のよって来たるところという意味で、これを般若心経的に言えば「空から生まれた色としての自分」という言い方になるかと思います。

肉体的な意味ではなくて、すなわち父母の肉体から私が生まれる前のいわば「空の世界の自分」のことを指しています。

カリアッパ先生はその「空」の世界を「この宇宙の中の見えない気体の中」と言っているのです。

「あるけれども見えない世界しかも根源の世界」 これが仏教、特に般若心経で言っている空の世界です。

空の世界とは何もないからっぽの世界という意味ではありません。

むしろその逆で「何でもある、いのちの世界」のことです。

「形がないので何でもある世界、形にできないほど何でもある世界」それが空のいのちの世界です。

現象世界の万物はみなそこから生まれています。

人もそこから出てそこへ帰る、日本の神道式に言えば「神から生まれて神へ帰る」ということをこのカリアッパ先生はインド哲学風に言っているだけだと思います。
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”人はすでに幸せである”

次のカリアッパ先生の天風先生への話もなかなか深い、と思います。

二人の会話です。

カリアッパ先生曰く「お前本当に幸せになりたいか」

天風先生答えて曰く「はい。なりたいと思えばこそこうしてやっているんです」

「それじゃあ、すぐ、今から、幸せになりなさい」

「えっ、幸せにはなれませんよ」

「なれるんだよ。なれるのに、ならずにいるんだ。 なりなさい。幸せに」

 「先生、無理言ったって、駄目ですよ。あなたのような偉い人なら、          すぐにでも幸せになるかもしれないけれども、私はとてもなれません           よ」

「なれるよ。教えてやれば、わけないけれども、考えなさい。今日これ          からだよ。すぐに今日中は考えつかないかもしれないけれども3日、5日、10日、半年、もっとかかるかもしれない。1年、2年、3年、期限は言わないが、一所懸命とっくんで、考えなさい。そうすると、お前の心の中の、もう一人のお前が、きっと本当のことを教えてくれ   る。」

「へェ。私はいよいよ不思議なことを聞きますが、私の命の中にもう一          人の私がいるんですか」

「いるんだよ」

この会話もなかなか示唆に富んでいます。

この会話では一つは「人はすでに幸せの世界にあるということ」、もう一つは「人は二人の自分がいるということ、小さな自分と宇宙大の自分、小我と真我、の二人の自分 」のことを言っていると思います。

この目に見える現象世界を支えている実在の世界があるということ、その実在の世界を  知り 目覚めることが悟るということである、とカリアッパ先生は教えているのです。

般若心境的真理に目覚めることこそが人が真に自由になる道であることをこのことは示唆しています。
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「すでに幸せの世界」とは

「すでに幸せの世界」とは、目に見える現象世界のことではありません。

この目に見える現象世界をその根底から支えている目に見えない、般若心経的真理から言うと 「空の世界」のことです。

常に変化を繰り返す目に見える現象世界を生み出しているのは、「生まれることも滅することもない、汚れることも清まることもない、増えることも減ることもない、不生不滅、不垢不浄、不増不減の空の世界」 です。

「空即是色(くうそくぜしき)」とは?

これを「空即是色」と般若心経では言っています。 

そして大事なことはこの「空即是色」の意味には以上のことのほかに「無条件の喜び、無条件の愛、無条件の思いやり」の世界であり、空とは「何もないように見えるほど、形に表せないほど何でもある世界」だと言う深い意味があります。

「空」としか言葉では言いようがない 奥の深さを表しています 。

例えばこの目に見える現象世界を見てみてください。

車で200 km のスピードは相当速いです。

飛行機の 速さはその10倍ぐらいあるかもしれません。

地球が太陽の周りを回るスピードはそんなものとは比較にならない約10万 km の速さで少しの狂いもなく何百億年も来る日も来る日も太陽の周りを回って狂ったことはありません。

私たちの細胞ひとつひとつをコントロールし生かしている力も、宇宙のなかで太陽の周りをそんなふうに少しの狂いもなく回している力も同じ「空の世界の力」です。

とてつもない力です。

とてつもない  叡知(えいち)です。
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わが内なる「空の力」

その同じ力が私たちの”いのち”の中にも宿っていて、仮に病気に出会っても「生かそう生かそう」と働いてくれています。

しかし私たちの勝手な、不安や心配などのネガティブな感情によってその「生かそう生かそうとする自然治癒力」を台無しにして生きているのが普通です。 

そして、天に輝く太陽や夜空の星や 月も、地上の生きとし生けるもののすべてが、木や花や昆虫や小動物や大きな動物もそして人間も特に赤ん坊の頃は何か不思議な喜びの感情に支配されているかのようにやさしく見えることはありませんか 。

それもそのはずで、 その「空の世界」とは 一方では、何でもある中で、「無条件の喜び、無条件の愛、無条件の思いやり」の世界であり、その「空」とは「何もないように見えるほど、形に表せないほど何でもある世界」であり、しかも「万物が全てうまく調和するようにはたらく不可思議な自然の力」だからです。

親鸞聖人はこの力をとらえて「弥陀(みだ)の本願」という言葉でその宇宙の真理を伝えてくれました。

「弥陀(みだ)」とは、「ある特殊な 仏」のことではなく「阿弥陀如来(あみだにょらい)」のことであり、「阿弥陀」とは元々「アミターバ」といい、意味するところは「無限の世界」ということであり、「宇宙に遍満する不可視の”大自然”」のことです。

目に見える大自然はその現われなのです。

「空即是色」とはこのことです。

ですから親鸞聖人はこの力を「不可思議、不可説、不可称」と正確に捉えています。

親鸞聖人

聖人があの過酷な時代にあれほど過酷な人生を送られたにもかかわらず、92才という長命であらせられたのも、やはり「弥陀の本願のうちに生きておられた悟り」の賜物と思われます。

すばらしいことです!

  

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