これまで「すべてはうまくいっています。早く本当の自分を知ろう。実はあなたはいません」と言うこの世ならぬ異界からのメッセージを解き明かそうとして <早く本当の自分を知ろう>というところまで来ました。
今回もその話を中心にお話をしたいと思います。 そして最後の<実はあなたはいません>というとんでもない自己像の真意を探ろうと思います。
「タライの法則」ないし「やまびこの法則」とは何か
世の中にはどうやら「たらいの法則」というものがあるようです。
大きめのたらいの中に水を入れ、その水を前方に押しやろうとすると、その水は自然に押し返されて自分の手元に戻ってきます。
逆に水を手前に引き寄せるとかえって外に出て行ってしまいます。
宇宙もどうやら そんなふうにできているというのです。
たらいの中の水のように、例えば現実として病気であるとか、対人関係が悪いとか、貧乏であるとかというその事実を認めて、心の中でそれらを引き受け受け入れると、たらいの中の水の流れのように逆に少しずつその問題が外に向かって流れて行くようです。
つまり良い方向に向かっていくと言うことです。
これを別の言い方で「やまびこの法則」とも言います。
大きな山あい があるところで、山に向かって 「ヤッホーと言えば、同じくヤッホーと帰ってきます」「死んでしまえと言えば死んでしまえ」という声が帰えってきます。
つまり「人を呪えば呪われる、人を呪わば穴二つ」ということです。
「人を愛せば愛される」「人を愛せば愛と調和が帰ってきます」
ここまでは人生を経験すればなんとなく分かっていることだと思います。
ですから、そういう法則のようなものが人生には働いている、と言われれば、それはなんとなく納得されることでしょう。
しかしどうしてそういうことになるのかと改めて問われると、これまではそんなふうにできている法則のようなものがある以上には分からないのではないかと思います。
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心は<カタチがないから境なく>一つ
実は、そこにはとても深い真理が隠れています。
それは「心は一つしかない」ということです。
宇宙には一つの心があるだけ、ということです。
しかし、いきなりそう言われても何を言っているのかよく分からない、と思われるかもしれません。
私の心とあなたの心は必ずしも同じではないからです。
しかしそれは表面上のことです。
心は深いところでは一つにつながっており、それ自体は実はとても広大無辺であり深いものです。
深いところでは「私はあなた、あなたは私」という究極の事実に基づく「一つの心」で繋がっています。
だから、他人にすることは自分にすることであり、他人について思うことは私に対して思うことである、という真理が出てくるのです。
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<他人のみを愛するのがベスト>という真理の意味
これは何も「偽善者」のススメではありません。
それは自他一体に基づく逆説的手法です。
「自分を愛するように他人を愛する」では、どうしても「自分が中心」の軸足となり、かえってこのほうが偽善的に傾くのです。
もっと分かりやすく言いますと、「他人の幸せだけを願っていればいい」ということは
結局はそれが真理に基づくベストな人間関係を築くからです。
だってそれはそれは否応なく自分の幸せを祈ってることと全く同じだからです。
両方が幸せになります。
そして、「心は一つ」ということが分かれば、言い換えますと「心には形がない、したがって境もない」、境がなければ一つに繋がっているということになります。
つまり宇宙の意思というものはそこ、つまり自他は一つである、ということにあることがこれでよく分かるのではありませんか。
「己のように隣人を愛せ」という言葉の本当の意味がそこにあります。
これが本当に分かれば、世界平和の心理的礎(いしずえ)というものは出来上がるのではありませんか。
人殺しは良くない、戦争とは合法的な人殺しではないか、だから良くない、ではこれまでの歴史が示しているように、戦争を止めることは絶対にできないのです 。
人と人との関係の真理を知らされてないから、そういう道理が分からないから喧嘩も戦争も止むことはないのです。
想念は生きているエネルギー
ここでもう一つの現実を申し上げなければなりません。
そうした他人への思いというその想い、言い換えれば想念 には物事を創造する力があるという法則もつけ加えなければなりません。
だって想念がなければそういうことは現象として起こらないからです。
現象の創造の原因は その想念のエネルギーの力であるということが今では分かってきます。
ということはあなたの人生は基本的にあなたの心の反映であり、あなた次第によって創造されているということです。
そこから人生全体の運命もこの創造の原理を起点として形成されていると言えます。
近年の物理学の世界では、仏教なんかで説く深い心の世界と物質の最小単位である量子レベルでのつながりなどの発見によって、人の想念や観察というものがそういう量子に働きかける可能性を次々と証明しつつあります。
心も想念も物質も同じようにエネルギーだからです。
基本は波動、波ないし粒子のエネルギーだからです。
粒子は波になり、波は粒子になるエネルギーだからです。
粒子の方を物質といい、波動の方を心的エネルギーと呼んでいる違いがあるだけです。
仏教ではこれを「色不異空(しきふいくう)、空不異色(くうふいしき)、色即是空(しきそくぜくう)、空即是色(くうそくぜしき)」と言っています。
同じことを言っているのです。
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万物は心を待ちて発生する
以上のことは、「心は一つ」「心は無限」「心は全てを創造する大本」だということです。
この心の広大無辺なること、一つの心については既にはるか2000年以上も前に仏陀、イエス・キリスト他幾多の聖人が、残された文献からでは分かりづらい形ではありますが、以上の真理を我々人類に残しています。
この心の真理を説いた もう一人の覚醒者として、我が国に今から800年ほど前に存命しておられた臨済宗の開祖、建仁寺の開山、栄西禅師という方がおられます。
お茶や醤油、味噌などを日本に中国からもたらした人としてつとに有名ですが、この方の表され方「興禅護国論(こうぜんごこくろん)」の序文の中に素晴らしい「心についての記述」がありますので是非これを皆さんにご紹介したいと思います。
そこには現代最先端のお粗末な脳科学や心理学などでは遥か遠く及ばないような、本当に素晴らしい「心というものについての真理」が見事に表現されています。
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日月も”心”を待ちて運行し、時間も”心”を待ちて変化する”
その栄西禅師が示される「最上道」とされる文言を引用します。
大いなるかな 心や
天の高きや極むべからず
しかも心は天の上に出づ
地の厚きや測るべからず
しかも心は家の下にも出づ
日月の光や 超ゆるべからず
しかも心は日月の明の外に出づ
天地我を待ちて覆載(ふくさい、受けてのせること)
日月 我を待ちて運行し
四時我を待ちて変化し
万物我を待ちて発生す
これを最上道と名づけ
また無上菩提(最高の悟り)と名づけ
また正法眼蔵(しょうぼうげんぞう、わがこころが万元の根源と悟る無上菩提のこと)
また涅槃妙心(ねはんみょうしん、玄々微妙の無上菩提のこと)と名づく
これはいったい何を言わんとしていると皆さんは思われますか。
実際の広大無辺な大宇宙よりもさらに広く大きいとてつもなく大きいもの、それが心だというのです。
信じられますか。
その高さは天上よりも高く、地下をも突き抜けてさらに大きく、日月の光の及ぶ所よりもさらに遠くまで及び、天地は我が心をのせて動いており、日月の動きも我が心を待ってから運行するというのです。
何ですかこれはとは思われませんか。
ではその心とは何か。
時間もその心を待って変化をするという。
万物の生きとし生けるものはすべて我が心を待って発生してくるというのです。
一体全体、こんな我が心の実相とは何なのか、これを悟ることを最高の悟り(無上菩提・正法眼蔵)だというのです。
私は個人的には「万物を我を待ちて発生す」というところでハッと気がつきました。
ここで言っている広大無辺な心とは実は「”いのち”のことではないか」と気がついたのです。
無論、それは、このやがて変化して死ぬべき肉体生命のいのちのことではありません。
そういう唯物論的発想では何も分かりません。
その命はその肉体生命を支えている実在の世界における”いのち”のことで、宇宙大生命のことです 。
それは神道で言う「万物に宿る神」と言ってもいいかもしれません・
生きとし生けるものを活かしている大元の”いのち”です。
その命はこの肉体生命ではなく「一つのいのち、宇宙をも超えたいのち」なのです。
”わが生くるはわが生くるにあらず天地宇宙に遍くある御親のいのち”によりて生きています。
そしてそれは宇宙大以上の存在でなければ万物や月日を動かすことはできないはずです。
35億年もの間、地球をして太陽の周りを少しの狂いもなく回り続けさせたその宇宙大生命の命と一寸の虫に宿って 生かしている同じ”一つの命”であるのす。
そしてその一つの命、それが「本当の自分だと悟る」ことが「無上菩提の最高の悟り」ということになるわけなのであります。
「早く本当の自分を知ろう」とはその「無上菩提の悟りを得ること」であった、ということです。
ここまで来れば、最後の「実はあなたはいません」と言う究極の悟りがはっきりと見えてくるように思います。
これについては長くなりますので次回に譲ります。