般若心経によって「人間とはなにか」を知る

今回は「すべてはうまくいっています。早く<本当の自分>を知ろう。実はあなたはいません。あなたは<わたしはあなた・あなたはわたし>の中にいます」という異界からの驚異のメッセージの最後の文言「あなたはいません」というこれまた驚きの解説をしたいと思います。

「私はいません」のだったら、ここにいるのは何者なのか、誰なのか、誰でも知りたくなりますよね。

般若心経による「人間とはなにか」の解明

そこで私が思うのに、人間とは何か、という永遠の問いに対し最も解説しやすく、そういう意味では、難しいのだけれども、わかりやすいのは、般若心経を通しての「人間とは何か」という探求の仕方が意外といいのではないかと、最近思うようになりました。

それで般若心経の解説をしながら「私とは何か、人間とは何か」ということを考えてみたいと思います。

うまくいったらおなぐさみ 、と言うくらいで楽しんでいただければ幸いです。

おぅ、 般若心経ときたか、ありゃ、君、そう簡単には料理できないぞ、解釈も色々だしな、とおっしゃる御仁(ごじん、お方)には特に面白いのではないかと思います。

では早速、その全文を書き下しも入れて写させていただきます。

花山勝友氏の誤った般若心経解読

はじめに俎上(そじょう、まないた)にのせたい先生は、有名らしい花山勝友という佛教大学の先生による解読です。 

では早速。

かんじざいぼさつ

観自在菩薩  (観音菩薩が、)

ぎょうじんはんにゃはらみったじ

行深般若波羅蜜多時 (深遠な知恵を完成するための実践をされている時、)

しょうけんごうんかいくう

照見五蘊皆空 (人間の心身を構成している五つの要素がいずれも本質的なものではないと見極めて、)

どいっさいくやく

度一切苦厄(すべての苦しみを取り除かれたのである。)

しゃりし

舎利子  (そして舎利子に向かい、次のように述べた。舎利子 よ、)

しきふいくう

色不異空 (形あるものは実体がないことと同じことであり、)

くうふいしき

空不異色 (実体がないからこそ一時的な形あるものとして存在するものである。)

しきそくぜくう

色即是空 (したがって、形あるものはそのままで実体なきものであり、)

くうそくぜしき

空即是色(実体がないことがそのまま形あるものとなっているのだ。)

じゅそうぎょうしき

受想行識(残りの、心の四つの働きの場合も、)

やくぶにょぜ

亦復如是(まったく同じことなのである。)

しゃりし

舎利(舎利子よ、)

ぜしょほうくうそう

是諸法空相(この世の中のあらゆる存在や現象には、実体がない、という性質があるから、)

ふしょうふめつ

不生不滅(もともと、生じたということもなく、滅したということもなく、)

ふくふじょう

不垢不浄(よごれたものでもなく、浄らかなものでもなく、)

ふぞうふげん

不増不減(増えることもなく、減ることもないのである。)

ぜこくうちゅうむしき

是故空中無色(したがって、実体がないということの中には、形あるものはなく、)

むじゅそうぎょうしき

無受想行識 (感覚も念想も意志も知識もないし、)

むげんにびぜつしんに

無限耳鼻舌身意(眼・耳・鼻・舌・身体・心といった感覚器官もないし、)

むしきしょうこうみそくほう

無色声香味触法(形・音・香・味・触覚・心の対象、といったそれぞれの器官に対する対象もないし、)

むげんかいないしむいしきかい

無限界乃至無意識界(それらを受けとめる、眼識から意識までのあらゆる分野もないのである。)

むむみょう

無無明(さらに、悟りに対する無知もないし、)

やくむむみょうじん

亦無無明尽(無知がなくなることもない、)

ないしむろうし

乃至無老死 (ということからはじまって、ついには老と死もなく)

やくむろうしじん

亦無老死尽(老と死がなくなることもないことになる。)

むくしゅうめつどう

無苦集滅道 (苦しみも、その原因も、それをなくすことも、そしてその方法もない。)

むちやくむとく

無知亦無得 (知ることもなければ、得ることもない。)

いむしょとくこ

以無所得故 (かくて、得ることもないのだから、)

ぼだいさった

菩提薩垂 (悟りを求めている者は、)

えはんにゃはらみった

依般若波羅蜜多 (知恵の完成に住する。)

こしんむけいげ

故心無圭礙(かくて心には何のさまたげもなく、)

むけいげこむうくふ

無圭礙故無有恐怖 (さまたげがないから恐れがなく、)

おんりいっさいてんどうむそう

遠離一切転倒夢想(あらゆる誤った考え方から遠く離れているので、)

くきょうねはん

究境涅槃 (永遠にしずかな境地に安住しているのである。)

さんぜしょぶつ

三世諸仏 (過去・現在・未来にわたる”正しく目覚めたものたち”は)

えはんにゃはらみつたこ

依般若波羅蜜多故 (知恵を完成することによっているので、)

とくあのくたらさんみゃくさんぼだい

得阿耨多羅三藐三菩提(この上なき悟りを得るのである。)

こち

故知(したがって次のように知るがよい。)

はんにゃはらみった

般若波羅蜜多 (知恵の完成こそが)

ぜだいじんしゅ

是大神呪 (偉大な真言であり、)

ぜだいみょうしゅ

是大明呪 (悟りのための真言であり、)

ぜむじょうしゅ

是無上呪(この上なき真言であり、)

ぜむとうどうしゅ

是無等等呪 (比較するものがない真言なのである。)

のうじょいっさいく

能除一切苦 (これこそが、あらゆる苦しみを除き、)

しんじつふこ

真実不虚 (真実そのものであって虚妄ではないのである、と。)

こせつはんにゃはらみつたしゅ

故説般若波羅蜜多呪 (そこで最後に、知恵の完成の真言を述べよう。)

そくせつしゅわつ

即説呪曰 (すなわち次のような真言である。)

ぎゃていぎゃていはらぎゃてい

羯帝羯帝波羅羯帝(往き往きて、彼岸に往き、)

はらそうぎゃてい

波羅僧羯帝(完全に彼岸に到達した者こそ、)

ぼうじ

菩提  (悟りそのものである。)

そわか

僧莎訶 (めでたし。)

はんにゃしんぎょう

般若心経 (知恵の完成についてのもっとも肝要なものを説ける経典。)

「空」こそ宇宙の本質である

皆さんはこの仏教大学の先生の解読した般若心経を読まれて本当に納得されましたか。

いやぁ、私は名前は聞いたことのあるこの先生の般若心経の解読と解説を読んでびっくり仰天しました。

それはいい意味ではないです。

こんなわけのわからない、ひどい解釈でいいんですか、出来の悪い学生でもここまでひどい答案を書くでしょうか、と言うマイナスの意味のびっくり仰天です。

これが生前、浄土真宗や仏教界で高名だったという評判の先生の般若心経の解説と聞いて、お弟子さんがひそかに代書してごまかしてかいたものじゃないんですか、と思いました。

こんなひどい解釈がよく通るなと思いました。

以下、出来る限りの私の解釈でこの先生のおかしなぁと思ったところを指摘して皆さんの参考に供したいと思います。 

第一この解釈を呼んで心が和んだり、平安に満たされ たりしますか。

こんな悟り(これが悟りだとして)で「人間の一切の苦厄が解決できますか」。

できますか。

できませんですよね。

あるいはとにかく何が書かれているのか、何を言っているのかよくわかりまん。

わかるのは、先生の解釈されている通りだったら、般若心経の言いたいことは「この世界は虚無の世界」であってそれ以下でもそれ以上でもない、と言っているだけだと思います。

これが仏教の精髄と言われている般若心経なのか、と、かくぜんと心がうなだれてしまいます。

参考までにその疑問点を今から私なりに、批判にはなってしまいますが述べてみたいと思います。

では早速、少しずつ引用しながら自分の意見を述べさせていただきます。 

かんじざいぼさつ

観自在菩薩             (観音菩薩が、)

ぎょうじんはんにゃはらみったじ

行深般若波羅蜜多時     (深遠な知恵を完成するための実践をされている時、)

しょうけんごうんかいくう

照見五蘊皆空           (人間の心身を構成している五つの要素がいずれも本

             質的なものではないと見極めて、)

どいっさいくやく

度一切苦厄             (すべての苦しみを取り除かれたのである。)

まず、「人間の心身を構成している五つの要素がいづれも本質的なものではない」とわかったら「人間の全ての苦しみが取り除かれた」という解釈をしているのですが、そんなことで、つまり「五蘊が本質的なものではないとわかっただけで」全ての人間の苦しみが取り除かれるなどということはありえません。

人間を構成している「色(肉体)・受(感覚)・想(想像)・行(意志)・識(識別)」が本質的なものではない、とわかっただけで人間の一切の苦しみや災厄がどうしてなくなりますか。

なくなりません。

この先生は一切そういうものが取り除かれるというんですよ。

ありえませんね。

なんでこんな過ちが起こるのか。

また何でこんな解釈で平然としておられるのか、そこが分かりません。

これでほんとうに大学の教授ですか。

学者というのは、言葉だけの解釈しかできない、とは聞いていますがここまでひどいとは信じられません。

皆さんはどう考えられますか。

まあ、そんな言い方も伏線を張ってのことならわかりますが、最後まで読んでもそういう伏線の気配は一切感じられません。

そのまんまの意味なんです。

そんな馬鹿げたことを平然と書けるという神経が第一に理解できないです。

まあしかしここはほとんどの学者さんとか僧侶 方々が「空」という意味を勘違いされているから、言い換えますと「空と無」の意味を混同されているところから来ていると思います。

「空」とは「何でもある世界」のことである

「空」というのは結論から言いますと、この先生が誤解されているような「無とか虚無、」という意味ではありません。

むしろ「空」とはその逆で、「何でもある世界」です。

唐突ですが、西洋のユダヤ・キリスト教に現れた「神」に近いのがこの「空の概念」と思っても良いかと思います。 

かつてユダヤ教に、神とは「 I Am that I am」 としてこの世に示されたことがあります。

このブログの中で何度も申し上げましたが、この般若心経における「空と言う世界」はその「 I Am that I am、ありてあるもの」と言う、いのちの世界の大元の世界と言いますか、いわゆるちっちゃな心ではなくて、臨済宗の開祖、栄西禅師 が「興禅護国論」の序で表現された「カタチのない広大無辺な心の世界」と同じものと考えて差し支えないかと思います。

そしてその命であり、心である「絶対界の空の世界」へ行くための  知恵 が「般若波羅蜜多」であり、そのための行法をして、「 五蘊はみな空という実在界の現れなのだ」と悟って初めて「度一切苦厄(一切の苦しみと災厄を解決)」することが出来たのだ、と般若心経は解き明かしているのです。

般若心経はこの主文に沿って以下その解説をしていくわけです、そういう構成になっているのです。

五蘊はみな<空という実在界の現れ>だとわかると、 

しきふいくう

色不異空               

くうふいしき

空不異色               

しきそくぜくう

色即是空                

くうそくぜしき

空即是色          

の意味もよく分かるようになります。

しきふいくう

色不異空 とは、この目に見える相対世界という物質の「色の世界」は、 空という絶対の世界の実在の世界の表れであるということです。

それをまた色即是空と言い換えているわけです。

同じことを言っています。

くうふいしき

空不異色  

 くうそくぜしき

空即是色 「実在の、実体のある空というもの」が「実体はないがその表れとして色の世界」があると言っているのです。

その「空の世界」を悟ることを「彼岸に至る」というのです。

この現象界の色の世界にありながらその彼岸の世界を悟る(即身成仏の自覚)ための言葉が後半に示される「呪」なのです。 

この「呪」こそが「彼岸に至るための言霊、真言、マントラ」なのです。

ですから、

ぜしょほうくうそう

是諸法空相     

ふしょうふめつ

不生不滅 

 ふくふじょう

不垢不浄               

ふぞうふげん

不増不減  

ぜこくうちゅうむしき

是故空中無色  

すなわち、  不生不滅 、不垢不浄 、  不増不減 なのは、目に見える「色の世界」  のことではありません。

それは、実に「空の世界」の説明だったのです。

ですから、<この世の中のあらゆる存在や現象には、実体がない、という性質があるから、もともと、生じたということもなく、滅したということもなく、よごれたものでもなく、浄らかなものでもなく、増えることもなく、減ることもないのである>という花山先生の解釈は大間違いです。

実に「空の世界」とは永遠の実在の世界だからです。

そして私が読んだ限りでも、ほとんどの般若心経解説書がこの花山先生と同じような解釈をしています。

その原因は、一般に岩波文庫版の「般若心経」で元東大教授のインド哲学と仏教の御大(おんたい、大先生)と言われる中村元先生が同じような解釈をしているので、恐らくはみんなこの権威ある先生に右に倣え の解釈をしているのではないかと思います。

指摘して正したいところ は他にもたくさんありますが、長くなりましたので今回はこのくらいで止めておきたいと思います。

次回も他の有名な先生方の般若心経にも当たって考究し、この般若心経を通して「私はいません」と言う真理のメッセージを解読して 行きたいと思っています。

 

       

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