「すべては上手(うま)くいっている」という善一元の悟り とは

般若心経に空即是色(くうそくぜしき)、色即是空(しきそくぜくう)という考えがあることは既に何度か申し上げましたが、要は、色(しき)という物質世界は空(くう)という目に見えないエネルギーの”いのち”から目に見える物質に変化し現れているのがこの世界である、ということ、言わば色という物質世界は空の世界の現れなのだということであり、物質世界の色の世界は、「実在はしていない」という意味では無 であるので「この世は諸行無常」などと言われています。

しかしもう少し解き明かしますと、その空と色の間に「こころ」というものが実は介在しています。

そして、 生きとし生けるもの、鉱物から始まって植物、動物そして人間もそれこそ大昔においては、その心も「個という自覚」も極めて少なく自然と一体化して調和していましたので自然の法則に従って大過なく一生を終えるという理想的な原始時代があったように思います。

しかしながら、人間はやがて自他を意識し、識別するにつれて「個という自覚」を 獲得するようになって、人類は進歩とともにこの世の争いによる乱れをも招来してしまいました。

今までの時代はおおよそ そんな時代であったように思います。 

そのようなレベルの世界に生きているということは、今でも多くの主要国が核兵器を持っているという一事を もってしても 容易に想像することができます。 

以上のことは何となく理解していただけると思いますが、今回はこの「個という自覚」 による功罪(その良いところと悪いところ)と、もはや引き返すことができないこの「個という自覚」から、人間はどうしたらみんなが人生に勝利し、本当の幸せを得ることができるかを探求してみたいと思います。

個という自覚 

そんな大それたことができるかどうか分かりませんが、非力をも顧みず試みてみたいと思います。 
スポンサーリンク




禍福(かふく)は糾(あざな)える縄の如しという人生の真実

まず、今回も、以前にも申し上げたこともありますが、かつて自分が人を介して受けた啓示のようなものから考えてみたいと思います。

その啓示とは、

「すべてはうまくいっています。

  早くほんとうの自分を知ろう。

       実は、あなたという存在はいま せん。」というものでした。

以前どこかで申し上げましたように、この言葉の意味が本当に納得できわかるまでには私には十年以上もかかってしまっています。

ですから、失礼ながら、皆様もおそらく同じように、この文言に対して「何を言ってんのかね、よくわからん」、そういった感想を抱かれるのではないかと思います。 

「すべてはうまくいっているなんて、一体何のことだ。いくら運が良くても、そんな人生はありえねえだろ。」と思われるかと思います。

人生は、概(おおむ)ね誰にとっても、このタイトルにあるように「禍福は糾(あざな)える縄の如しという」といった、良いことと悪いことの比率の違いはあるがやはり交互にやってくる、といってよいのが本当のところだと思っていると思います。

すなわち成功と失敗、幸運と不運、勝利と敗北、健康と病気と言ったように 「良いこと」と「悪いこと」が相対的にやってくるのが人生というものだ、と言えるからです。

成功ばっかり幸運ばっかり勝ちばっかり健康ばっかりという人生はまずありえない、

前者を善二元、後者を善一元という考え方で表現することもできますが、後者の善一元の人生はありえないと考えるのが普通です。

だからこそ人は健康を願い幸運を願い 成功を願って、病気や不運や 失敗が起こらないように願っています。

しかしこの相対(あいたい)するもののその比率はともかく、常に良いことが起こるということはまず”ありえない”と覚悟しておられるのが普通ではないでしょうか、人生とはそんなもんだと言う達観にも似た諦めを持っているのが普通です。

少なくとも自分はそうでした。
スポンサーリンク




プラスの想念とマイナスの想念

ところが”いのち”とか心とか運命とかといったものに強い関心を抱くようになってこれらを探求しているうちに、 とうとう一筋の光として「人間の観察によって量子の世界のレベルでは波が粒子になる、すなわち物質になる」といった量子力学の発見などから、 どうやらそれぞれの個人の人生はその人の「想念をカタチにする自動性を持っている心」 によって決まるらしいということが分かってきました。

とすると 、その「人に起こる問題は、基本的にはすべて自分に原因がある」ということになります。

そしてそれは常に「プラスの想念」を抱けるようになれば良い、言い換えれば、「マイナスの想念」はこれを起こさないようにすれば良いという結論になります。

であれば自分の中で常にプラスの想念だけが発せられるようにすればいいということになります。

そこで、「プラス思考のすすめ」「積極的的思考の魔術」などといった本が売れています。

ではどう考えたら「プラスの想念」だけにすることができるか、言い換えれば、どんな考え方をしたらば「常にプラスの想念」を保持することができるか、ということになります。

なんと、それが「すべてはうまくいっている」という啓示であったのです。

え?

どういう意味?

これをうまく分かりやすく言うことが難しいのですが、もし仮に <人が死ぬまで、あるいは死んだ後も含めて<すべてはうまくいっている>ようにできている、としたらどうであろうか。>という仮説なのです。

 どういうことかと言いますと、例えば、全ての病気が想念から来るというわけではないですが、(しかし多くの場合が想念との関わりが考えられる、というのが最近の心身医学で主張されている説です)、仮にその人がマイナスの想念から病気になってしまった場合、その病気はその人の成長のための気づき付きとして起こり、その気づきによって病気が治る、といったような経過をたどる場合、「その病気は必要があって起こっている」ということになります。

 ということは、そこに「成長と言う”いのち”の促しがあった」ということになります。 

だから「すべてはうまくいっている」ということなのです。

もしそうすると一事が万事で、「失敗は成功の基」というように、 失敗も不運も結局は成功や幸運のためにある場合もあるということです。そして結局は「すべてはうまくいっている」ということになるならば、本質的に全ての「悪いと思われること」が実は「良いこと」の原因となっているように見える というわけです。 

これに近い考えが中国の故事、「禍福(かふく)は糾(あざなえ)る縄(なわ)の如し」というものなのですが、しかしこの格言は「最終的によくなるとは保証していません。ただ良いことと悪いことが交互に起こるのが人生であるという事実」を言っているだけです。

しかし「すべてはうまくいっている」という言葉は最終的に人は良い方向に向かっているということを約束している、ということです。

最終的に「良い結果」しか来ないのだから何が起こっても「すべてはうまくいっている」ということになるわけです。

このことは次のことを意味します。

「全ては上手くいっている」とは善悪二元の世界から善一元への移行を意味ししているということです。
スポンサーリンク




「必要・必然・ベスト」という、より深い人生の真実

かつて経営コンサルタントであった船井幸雄さんが、人生に起こることはすべて「必要・必然・ベスト」だとしきりに言われておりましたが、この考えは、「禍福はあざなえる縄のごとし」という人生観よりも歩一歩を進めた深い人生の真理だと思います。

今回のブログの関係で言えば、まさに「すべてはうまくいっている」と本当に思えるようになれたらば、この「必要・必然・ベスト」という考えがすごくお分かりになるのではないかと思います。

例えばまた病気の話ですが、ある病気はその人にとっておそらく必要なもの、意味のあるものである可能性がとても高いのです。

だからそこに必然的に病気という形で現れている。 

おそらくは、その人の魂の何かの気づきや成長のために、その”いのち” が起こしている 可能性があるとすると 、その気づきによってあっという間に癒されるといった事実がよくあるからです。 

よって、この「必要・必然・ベス・」と言う考えも「すべてはうまくいっています」という言葉も 「成長という概念」を視野に入れる時、よく理解できるようになるのではないか、と思います。

この啓示の文言で言えば、「すべてはうまくいっています」の本当の意味を理解するには、次の文言「早く<ほんとうの自分>を知ろう」と言っている<ほんとうの自分>という言葉の中にその秘密が隠されているように思います。

どうやら「ほんとうの自分を知ること」と「すべてはうまく行くこと」とは何故かリンクしているように思います。 

次回は、「ほんとうの自分」と「すべてはうまくいっていること」とどのようにリンクしていて、そしてまた、もはや幼児へは 後戻りできない「個人という自我の自覚」とどのように関係しているのか、についてさらに考えを深めていきたいと思います。

 

スポンサーリンク







シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク