皇位継承のしるしである三種の神器の奥義は実に般若心経に隠されていた

 

 皆さんはこの宇宙がどのようにして出来上がったのか、ということを考えたことがありますか。

あるいはまたこの宇宙、この世界は一体どのように成り立っているか、どんなふうに構成されているかをお知りになりたいと思われたことはありませんか。

今回はこんなことを考えてみたいと思います。

むろん仮説であります。

しかも科学的知見というよりは宗教的、哲学的なあるいは理論的な仮説です。 

かといってあまりぶっ飛んだ理解不能な、初めに「神ありき」のような独断やおとぎ話やいわゆる神話の仮説ではありません。

もっとも、科学的知見と言っても、寺田某(なにがし)という科学評論家の見解によれば、科学的知見と言ってもその99.9%は仮説である、という見解も ある のが現状なのですね。

般若心経と弓前文書(ゆまもんじょ)から見える宇宙の構造

 前回、これは般若心経の宇宙観ないし世界観として五蘊皆空、色即是空、空即是色の世界を述べてまいりました。 

しかしここで弓前文書が出てくるのはいかなる理由か、と思われるかもしれません。

それには理由があります。

その理由は、弓前文書のうちの「神文(かみぶみ)」という日本神話によく登場するアメノコヤネからのメッセージの「第一章」の中に、「いかにしてこの宇宙が創成されたか」が述べられているのですが、それが、なんと、<カタチのない(空・ス神)>から<カタチのない心>が生まれ、そこから<カタチのある色の世界=五蘊>が生まれたとする、宇宙の成り立ちを述べた般若心経とそっくりの記述があるからです。

これはまことに驚くべきことです。

「神文(かみぶみ)」とは、大体、我が国の七世紀の初めの頃、弓前値名(ゆまあてな)という香取神宮の神職によってアメノコヤネからの伝言を文字化した古文書です。

当時は、鹿島神宮には中津(なかつ)という神職が、香取には弓前(ゆま)という神職がいたのですが、彼らの共通の先祖であるアメノコヤネという神から託宣された「神文(かみふみ)」という神言葉で書かれた文書を大切に守り伝えていました。

アメノコヤネ

そのなかに宇宙の始まりの話が原理的に書かれているところがあります。

以上の経緯のことは、神文の解説文とでも言うべき主に弓前値名が書いた「委細心得(いさいこころえ)」に記されています。

そしてその神文と委細心得を合わせてここで「弓前文書」と言っています。

般若心経と一致する神文(かみぶみ)の宇宙観

では早速、般若心経によるこの宇宙の成り立ちと この弓前文書の中の神文の中の宇宙の始まりとその成り立ちとをそれぞれ比較して、その驚くべき一致を見てみたいと思います。

般若心経では

一つ命の空(天)➡こころ(受想行識)➡色(地)が宇宙の発生順序であり 今でも宇宙はこのような構造になっているということに変わりはありません。

では神文の方ではどんな表現になっているかと言いますと、

 イマスパルヌ・アマノマナカヌチ➡カミムスビ➡タカミムスビが宇宙の発生順序 となっているのです。

ではこの両者の宇宙の発生順序がいかに一致しているか、というその驚きの解説をいたします 。

古代インドで仏陀が受けた空即是色という啓示と古代日本のアメノコヤネが中臣の先祖の中津身に与えた神文の中の宇宙の始まりの啓示とが本当に一致しているということがとても不思議に思えます。 

早速その両者の宇宙創成物語を見てみたいと思います。

まず仏教の方の「ひとついのちの空・天とも言います」の解説をします。

この「ひとついのち」という考えは、無論まだ物理的宇宙は一切生まれていない、物理的には太陽も地球も何もなく素粒子もない、遥か大昔の、ビッグバン以前の目には見えない大宇宙の世界のことです。

それは潜在的には何でもあるけれども、見える世界としては何もない世界、それはただ「エネルギーだけ、光だけの世界」とも言えます。

ただただ大きなエネルギーだけがある、ゼロポイントフィールドなどという言い方もします。

これが般若心経のいう「空の世界」です。

一方、神文の方では、この状態を「イマスパルヌ」と言っています。

現代語に解読してみます。 

ただし、一音一義(いちおんいちぎ)という、一つの言葉には一つの意味がある、という弥生語の原則がありますが、ここではその詳しい解読は煩雑となりますので割愛させていただきます。

イマとは、はじまりの真(まこと)の姿は、という意味です。

そしてスとは「何もない」という意味で、般若心経で言う「空」ということです。 

そこからエネルギーが動き出して いわゆる混沌状態となります。

それがパルヌです。

そして次のアマノママナカヌチ、古事記では一番初めに登場する「天御中主(あめのみなかぬし)」のほんとうの原語であるこの意味は、「天が意図したまことの姿は、全宇宙の一大混沌状態であった」という意味で、この前のイマスパルヌとほぼ同じ意味なので このイマスパルヌが般若心経の「空」にあたるのですが、 古事記ではその編纂者がこの言葉の意味をはかりかねたのか、このアマノママナカヌチに代表させたのです。

しかし主人を意味する「主(あるじ)」 という漢訳はどうにもいただけません。

「ヌチ」は「混沌とした一大エネルギー」というある一定の宇宙創成の混沌状態を表現しているからです 。

ですのでここではイマスパルヌ・アマノマナカヌチと並列させてご紹介しました。

いずれにしましても、これが宇宙万物の根本であるゼロポイントフィールドエネルギーで、これが般若心経の「空」にあたるのです。

ところで、これは想像ですが、このようなアマノマナカヌチ、仏教でいう「空の状態」は何百億年、何千億年も続いたのではないかと思われます。

おっと、ついでに言いますと、この「空」の世界は今も未来も永劫に実在しています。

不生不滅、生まれたこともなく、従って無くなるということもありません。

しかしある時、それはいつかは分かりませんが 、ここに仏教でいう空の状態から心が生まれたように、それにあたるカミムスビの「物質創造の心」が生まれたのです。

カミムスビという弥生語はそういう意味だからです。

カ(大自然変化の)三(物質を)ムツ(造りたいという)ピ(意志が生まれた)という意味だからです。

これが、一ついのちの中から生まれたモノを生み出す一つ心の誕生なのです。

しかも、それがあなたのモノを造り出す心でもあります。

同じものです。

全ての人に心がありますが、さらに言えば、その心は天地創造をしたときの同じ心なのですね。

ホントウのいのちが一つであるように、心も一つしかなく、肉体という物質も一つなのです。天体にある物質も、われわれの肉体の構成単位の物質も同じものではありませんか。

同じ一つの物質です。

般若心経においても、空即是色をする際に「心」が介在していることがその全体から見て取れます。

それだからこそ、タイトルに「心経」と銘打っているのであることは、再三、前回詳しくお話ししました。

すなわち般若心経においては空即是色をする時に心が介在していることがその全体から見て取れるのです。

どういうことか、説明します。

それはこの色の現象世界が、人間における心の「色・受・想・行・識」の五蘊の循環によって出来上がっていること、それゆえに「度一切苦厄」するために般若波羅蜜多のこころの呪「ぎゃーてーぎゃーてーはらぎゃーてー の呪」を使うことによっても心の介在をはっきりと見てとることができます。

華厳経にみる心の真理

この真理は華厳経という仏典においても、はっきりと断言されております。

すなわち

「三界虚妄(さんかいこもう)唯是一心作(さ)」という文言です。

意味するところは「この世(三界という現象世界)のあり方、あり様はひとえに我々の心の在り方に依っている」ということです。

華厳経でも般若心経と同じように「この現象世界はひとえに人の心の表すところである」と断言しているのです。

さてカミムスピという「物質を生みたいという心」が生まれたこの世界から、タカミムスピという、 現在宇宙物理学でいうビッグバンが起こって万物が生まれ今の世に繋がる始まりは、こうした過程を経て成り立っているという意味で、アマノママナカヌチ→カミムツピ→タカミムツピを古事記などでは、特に「造化三神(ぞうかさんしん)」と呼んでいます。

ついでに申し上げておきますと、古事記や日本書紀などその他の古典でもこの順序はアマノママナカヌチ→タカミムツピ→カミムツピとなっていますが、これは古代日本語である弥生語とここで呼んでいる「一音一義」が日本人の間でも分からなくなって しまった飛鳥奈良時代に編纂されたからであります。

当時の学者の人々は、もはや一音一一義の本来の大和言葉の原語がわからなくなっていたので、カミムツピ、タカミムツピは陰陽の神 と誤解したか、あるいは一般にはわからないだろうという考慮から陰陽の神としたのかは分かりませんが分かりませんが、陰陽なら陽がまず動く、と言う陰陽五行説から アマノママナカヌチ→タカミムツピ→カミムツピの順序にしてしまいました。 

皇位継承のしるしである三種の神器の奥義は般若心経にある

なお、神道では、この「空即是色・色即是空」の不変の真理を「三種の神器」の奥義によって伝承してきたことにも少しだけ触れておきましょう。

これは、多くの方々にとっては初耳だと思いますので是非とも記しておきたいと思います。

 「空」は「鏡」、「色」は剣、そしてこの両者を結ぶ「心」が実は勾玉なのです。

陰の勾玉、陽の勾玉と分かれますが、陰の勾玉はあるえれども見えない空の世界、陽の勾玉ははっきり、くっきり見える色の世界を表しています。

これは中国や韓国などでも尊重される太極図の中の上に鏡の空が、下に色のシンボルである剣が逆鉾の形を取って 上に向けて鏡の空と渾然一体となっています。

それが「空即是色・色即是空」の象(カタチ)なのです。

その渾然一体の媒体物となっているのが陰陽の勾玉でシンボライズされる「心」なのです。

仁愛のお方である天子は、世界の究極の真理の体現者として、三種の神器を絶対に受け継ぐべく、「剣璽等承継(けんじとうしょうけい)の儀」を執り行わなければならないのです。

より詳しく分析すれば、「仁」という漢字自体が「三種の神器」を表現しています。

仁は二という上下に「頭と矢のカタチの胴体で出来ている人体」でこれは「頭が鏡で胴体が逆矛のカタチ」が「太極図の中の上下の陰の勾玉、陽の勾玉にそれぞれ配当されるカタチ」となります。

またこのカタチは上に鏡、下に御幣のカタチでもあり、これが神道祭祀の基本でもあります。

また鏡は太陽、剣は地球、勾玉は月に、またそれぞれを天照大御神、スサノオノミコト、勾玉は月読尊に配当されてもいます。

しかしなんといっても、三種の神器は「空即是色・色即是空」の「究極のひとついのち」が三つに分化した宇宙の真理をシンボライズしたものということがよく分かります

         

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