夏目漱石は果たして「則天去私(そくてんきょし)」を体得することが出来たか

今回は夏目漱石の思想・信条の話をいたしたく。

つまりは漱石の小説ではなく、彼の小説の根底にある思想・信条の 話です。

漱石の思想・信条といえば次の二つがとりわけとても重要です。

その一つは「自己本位」ということ、もう一つは「則天去私(そくてんきょし)」というものです。

漱石のいう「自己本位」とは何か

「自己本位」とは、自分中心ということですが、利己心から出てくる利己主義のことではありません。

「自己中」といえば普通は「利己的なこと」を指していますが、それと関係がありません。

ここの自己中心という意味は、一般的に「利己主義」と「個人主義」は違う、と言った場合の「個人主義」の方を指しています。

それは自己の発展に重きを置く考えのことであり、それは当然他人の発展をも尊重しなければならないし、他人を妨害する結果にならないようにする、それが個人主義というものです。

民主主義の根幹をなす考え方でもあります。

漱石のいう「自己本位」という考えは、ある日,

漱石が学習院に呼ばれて講演をした時の「私の個人主義」という話をまとめた本の中に詳しく書かれています。

これは若い時の多くの人が陥りやすい弊害ですが、とかくどこかで読んだり聞いたりした話をあたかも自分の考えであるかのように話したする、これもいい意味での「自己本位」では ないということです。

例えば誰か著名な人の本を読んで心の底から本当にそうであるとは思ってもいないのに、あたかも思っているかのように人に吹聴したりすることが若い時は多々あるものですが、それは漱石自身でさえも同じで、そういった偽物の自分で人生を突き進んでいくと、どうしても安心感もないし精神的に行き詰まるという経験をしていたのです。

漱石の場合、漱石がイギリスへ留学していた頃もそんな心境から今で言う「うつ状態」の、神経衰弱状態の病気に陥っていたようです。

しかし、やがて漱石は「他人本位」が自身の根源的な問題であると気づき、「自己本位」こそが「空虚さ」から脱出する道であることを発見します。

つまり、外から無批判に「鵜呑み」で受け入れた「よそよそしい」知識や価値観で生きるのではなく、自分が「真と思う」考えを自分の中で養成し、それにもとづいて生きる生き方に目覚めたわけです。

そうして本当に自分が心の底からそうだと思う自分の 本心を軸として考えを進めていく、そういう「自己本位」という考え方に漱石はたどりつくのです。

漱石はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってからは、肚が据わり大変強くなり異常な自信と安心を与えられた、とその講演で語っています。

<私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってからたいへん強くなりました。彼ら何者ぞやと気概が出ました。・・・・・その時私の不安はまったく消えさりました。>

ああ、ここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは、はじめて心を安んずることができるのでしょう。・・・もし途中で霧か靄(もや)のために懊悩していられるかたがあるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘り当てる所まで行ったらよかろう、と思うのです。・・・だから、もし私のような病気に罹った人が、もしこの中にあるならば、どうぞ勇猛にお進みにならんことを希望してやまないのです。もしそこまで行ければ、ここにおれの尻を落ちつける場所があったのだ、という事実をご発見になって、生涯の安心と自信を握ることができるようになると思うから、申し上げるのです。「わたしの個人主義」より >

そして漱石が英国留学中に「文学論」を企画した時、その出発点はこの「自己本位」であったことをその講演で述べております。

そして、この自己本位の発見には次のような事情もあったようです。

すなわち、漱石の「自己本位」は、書物を「読む」という理解・鑑賞の受動的な姿勢から、著作をする、すなわち「書く」という表現や創作の能動的な態度への転換において、ヒラメキのようにつかまれたもののようでもあります。

つまり、「自己」を本位にして「書く」、そのことを「生涯の仕事」とするところから活路を見いだしたということです。
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漱石の言う「則天去私」

ところが、 漱石は五十歳の若さでこの世を去っていますが、その晩年に差し掛かる頃に新たに「則天去私」という言葉を掲げてこれを目指すようになります。

この言葉自体は漱石の造語(ぞうご)のようです。

一般には「宇宙即我」とか「神人合一」あるいは「天人合一」とかという言い方をします。 

似ているようですが 、漱石の言う意味とは少し違うかもしれません。 

漱石は若い時から参禅をして禅宗に傾倒していますが、あるいは、これは宗教とは関係のない 「文学論としての則天去私」ではないかという風に考える方々もたくさんおられます。

というのも、この則天去私と自己本位は、一見その考え方からして相反するように思えるからなのかもしれません。

ですから、則天去私を「物事を中立的に客観的に書くという文学の方法論として捉える」という方々もおられるわけです。

果たして、漱石のいう則天去私は「創作者は常に中立的な観察者でなければならない」とした「去私」の文学論の哲学なのか、それとも漱石は座禅にも熱心であったという観点から、宗教的悟りのためにこれを目指して「則天去私」を掲げたのか、ということで昔から議論が二つに分かれているそうです。 
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その両論に対するわたしの考え

私はこの則天去私を意図した漱石の思いはこれを「物事を中立的に客観的に観察していくという文学の方法論」として掲げたのではない、と思います。

あくまで宗教的境地としての「則天去私」であったと思います。

その傍証と言えるものもあります。

それは、漱石の弟子として有名であった松岡譲の1933年の回想の中に 、次のような文章が残っているからです。

「オースチンの <高慢と偏見>の作品に言及した時に、漱石が<自然随順>や<親鸞聖人の自然法爾(じねんほうに)>の意味に似た話をしたことを聞いている」 と言う文章が残っているからです。 

松岡譲

もし「則天去私」がそのような意味に近似したものだとしたら、それは宗教おそらく禅的世界観を述べたものです。

また大正四年の漱石の「断片」には「大我」、「技巧」、「絶対の境地」などの考察があり、禅の追求するところと同じところを考えていたことがわかります。

小説「道草、五十七章」に「金の力で支配できない<真に偉大なもの>が彼の目に入ってくるにはまだ十分間があった」と言う文章からもうかがえることは 、この「道草」執筆の頃にその「真に偉大なもの」に覚醒していたようです。

「不自然は自然には勝てない。技巧は天に負ける。策略として最も効力はあるものは到底実行できないものだとすると、策略は役に立たない、ということになる。自然に任せておくという方針が正常だということに帰着する」(断片)

またそのほかにも、「無私、無我にて動く時、天の大いなる自然の意志の働きが出る」 (断片)という言葉が残されているのです。

まことにこの言葉は、「至言(しげん、本質を言い当てている言葉)」なのです。

それと「道草」において、我執の夫婦を描き、小説「明暗」において「則天去私」を描こうと したとされていますが、未完成のため、その「則天去私の人」は あまり書かれてはいないうちに絶筆となってしまった、これは返す返すも惜しまれることです。
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則天去私を目指した漱石

則天去私を本格的に目指した漱石の運命は、しかし終焉を迎えようとしていました。

則天去私は、学者におけるような単なる思想や哲学ではなく、生活に密着した「則天去私」でなければ、何も実人生を変えることはできません。

本当に「則天去私」に生きるとき、それは無心、無我となって自然法爾(じねんほうに)の親鸞聖人と同じように、「空の鳥や野の草のように、天の大いなる自然の意志の働きが訪れる」生き方になるということです。

釈尊(しゃくそん)出家の本懐は、人としての苦しみ、生・老・病・死の人の苦しみの解決にありました。

「度一切苦、能除一切苦」が全くできないで、葬式をもっぱらの生活の主な生業(なりわい)とするのは僧のすることではない。

僧は、本来、葬儀屋ではない。

しかし世は「これしかできない僧侶」で あふれています。

「度一切苦」を教えることのできない仏教はもはや仏教ではない。

ですから、仏陀の予言通り、現代はまさしくその「末法の世」の真っ只中にあるのです。

そういうわけで、漱石も思想として「則天去私」にようやく気が付いたものの、<体得しなければ何にもならない>、ということに気づき、体得を志し、大正2年の 高名な和辻哲郎宛の書簡に「道に入ろうと思っています」と記しています。 

身をもって体現しなければ、「他人本位」 の真似事だけをしている多くの学者や僧侶などのような不誠実な世界で終わってしまう、という内心の忸怩(じくじ、自分のしていることを恥ずかしいと思うこと)たる思いに矢も盾もたまらなかったのでしょう。

漱石は「人間の基本的な苦悩であるエゴイズム」 を扱った傑作、小説「こころ」から心の探求をはじめ、とうとう「”則天去私”という偉大な心」の体得寸前で、無常迅速のこの世を去って往(ゆ)きました。

享年約五十歳。

漱石の考える「則天去私」で「天人合一」は果たしてできたか。

漱石の「則天去私」とは一般には次のようなものと定義されています。

たとえば

則天去私の解説 – 三省堂 新明解四字熟語辞典では

そくてん-きょし【則天去私】

小さな私にとらわれず、身を天地自然にゆだねて生きて行くこと。▽「則天」は天地自然の法則や普遍的な妥当性に従うこと。「去私」は私心を捨て去ること。夏目漱石が晩年に理想とした境地を表した言葉で、宗教的な悟りを意味するとも、漱石の文学観とも解されている。「天てんに則のっとり私わたくしを去さる」と訓読する、とあるのですが

「小さな私にとらわれず、身を天地自然にゆだねて生きて行くこと」とは、具体的に「どうすることなのか」。

「天地自然の法則や普遍的な妥当性に従うこと」とは如何なる行為することなのか、こんな解説では一向にわかりません。

「去私」は「私心を捨て去ること」ですが、その為に「どうすれば私心を捨て去ること」が出来るのか、それ以上のことは何も書かれていないからです。

こんな説明では、これを読んだ後も、読む前も何も全く変わりようがない。

漱石は「則天去私」といいます。

既に申し上げましたように、一般には「宇宙即我」とか「神人合一」あるいは「天人合一」とか言います。 

似ているようですが 漱石の言う意味は少し違うようにも思えます。

私見では、「則天去私」の「則天」を、大同小異の多くの辞典のように、「天地自然の法則や普遍的な妥当性に従うこと」と解釈すると、つまり目に見える現象界の天地自然の法則に従うということになり、そんなことで「去私」、すなわち、「その執拗なエゴなどは決して消えやしないし無くならない」と思います。

だから「大同小異の多くの辞典」の解釈は頂けない、情けないというのです。

それらの解釈は間違っている、あるいは誤解しているということです。

ただし、この「則天」の「天」を「凧(たこ)、凧、上がれ、天まで上がれ」の目に見える現象界の「天」のことではなく、「カタチのない天」=「カタチのない自然(じねん、これは親鸞聖人の言葉です)」の「カタチなき天ないし自然」と理解できているならば、その時、「去私」、すなわち「小さなエゴを無くすこと」ができているはずです。

その覚醒(悟り)だけで、瞬時に「去私」が出来ているはずです。

この身、このままで、「即身成仏・即身成神」していることがわかる覚醒だからです。

だだ、亡くなる末期(まつご、臨終)に、漱石がこのことを悟っておられたかどうかは分かりません。

つまり、漱石がその末期において、「カタチなき天とカタチなき自分との境がなく、天のハタラキがそのまま自分に現れる」ことを実際に体験されていたかどうかは、分からないということです。

分かっておられたとすれば、漱石先生は、親鸞聖人と同じように、「天人合一」されて次の世にめでたく旅立って往(ゆ)くことができた、ということになります。

そうでありますように!

そうであれば、まことにめでたい!ことであります。

菩提薩婆訶(ボディソワカ、悟りよ、幸いあれ!)

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