仏陀の応病与薬ということ

ある日 ある時 お釈迦さま(仏陀)に向かって一人の弟子が「人は死んだらどうなるのでしょうか」という質問をしました。

お釈迦さまの答えは 「無記(むき)」 だったと伝えられています。

無記とは「死後の世界があるとも ないとも 答えられなかった」ということです。

その時 釈尊は次のようにお話になったと言われます。
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一所懸命

「そんなことを考えることよりも 「今この場所に懸命に生きる」そのことが大事である。

今こそが生きている実在の只中にあるのだから ここを離れて心を虚ろに死後の世界やあれやこれやを思い煩うということは 何のために今を生きているのかわからないではないか。

今与えられているこの一箇所に 懸命に命を懸けて生きる そのことが 何よりも大事である。

であるので 死後の世界があったとしても そのような生き方をしていれば心配はないだろうし 仮に死後の世界がなかったとしても 生ききったのだから何も悔いることはないではないか。

そんなふうに「一所懸命」すなわち一つの所に命を懸ける生き方の尊さを説かれたというのです。

現代風に言えば「実存主義」と言われる哲学の生き方ですね。

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即身成仏していた仏陀

しかし 仏陀は悟りと言われる「即身成仏」の涅槃の境地にすでにおられたのですから「死んだら終わり」の唯物論的世界にはいたはずはありません。

悟りとは人間が勝手に構築した観念的な世界に生きるということではないからです。

「即身成仏」の悟りとは この肉体と心を持ったままで 「ほんとうの自分がすでに如来ないし仏である」ことに気づいている境地のことです。

その証拠に いよいよ入滅される時に言ったといわれる言葉があります。

「私は二度とこの世に生まれてくることはない」という言葉を残してこの世を去られたと言われています。

おそらく それはその通り 事実だと思います。

それは何を意味するかと言いますと 仏陀は「永遠に生まれ変わることのない境地」すなわち輪廻の世界から抜け出した「不生不滅の解脱の境地」にすでにおられたからです。

ということは 仏陀は人に応じ 時に応じ その相手に応じて適切に説法をしたということではないでしょうか。

つまり仏陀が教えを示す場合 その相手の精神的能力や性質や機根(きこん 仏の教えを聞いて理解する能力)などに応じて それにふさわしい手段で説法をするという手法をとっていたのです。

これを対機説法(たいきせっぽう)と言います。

また別の表現では「病に応じて薬を与える」とも言います。

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