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神は己を多角的に見る為に万物を生んだ
前回、「ただ一つなる存在ー私は在るーIam-」は、自分のことを多角的に知るために、すなわち様々な多様性のある万物の中で己を知るために、万物を創造し、その為に万物にまた人間に宿った、ということを申し上げました。
すなわち、かの唯一物はあなたとなることによってこの世を、というより唯一物という自分自身をあなたの角度から見る、あるいは体験するために生まれてきたのであり、それこそが究極のあなたの存在理由だ、という、まあ、これは一つの有力な仮説と考えていただければいいと思います。
そう考えると、いろんな人生の謎が解けてきて腑に落ちてくるように思えるからです。
しかしまた、人間だけが、仏教のいう”識(しき)”というものを持っているが為に、「I am that I am」の、前のIである神の分霊分身と後ろのIである自我、いわゆる自分とが鉱物・植物・動物のように上手く調和していないところから、人間社会には争いが絶えない、ということを、前回申し上げました。
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なぜ人類の先祖は楽園を追われたのか?
この話をします。
旧約聖書に、人類の代表であるアダムとイブが<知恵の木の実>を食べたばかりに、<エデンの園>、すなわち、<すべてが上手くいっていた神の国の楽園>から追い出されてしまったという神話があります。
では、<知恵の木の実>とは何のことなのでしょうか。
その実態とは何でしょうか。
それは、人間だけが持つようになった仏教でいう<識(しき)>のことをいっています。
般若心経の中に<受(じゅ)・想(そう)・行(ぎょう)・識(しき)>という言葉が出てきますが、その「識(しき)」のことです。
では、あらためて、識とは何かについて例をもって考えてみます。
たとえば、一匹のネズミが、人間が寝静まった夜中に、人間の住む家の台所にやってきたとします。
そこで、あちこちに置いてある団子を見つけた、とします。
出典:王義之 般若心経
「ああ、おいしそうな、いい匂いがするものがある」と、まずネズミが団子を見つけたとします。
その匂いを感受する。
これが、般若心経の言う<受(じゅ)>なんですね。
しかも、あちこちに置いてある、とします。
おいしそうだ!
たまらず食べたいと思う。
これが<想(そう)>です。
そしてその団子の一つに近づきそれをを食べたとします。
これが行動を意味する<行(ぎょう)>です。
ところが、可哀そうに、まもなくして、その団子を食べたネズミは倒れ、足をバタバタさせて死んでしまいました。
それは、毒入り団子だったからです。
何が言いたいかというと、そこでネズミは「考える」ということをしていない、ということです。
動物はこのように<受・想・行>までしか持っていません。
考えて識別する<識>がないのです。
そして、植物は<受・想>までしかありません。
植物は歩いたり行動できないですからね。
ついでに、鉱物は<受>だけです。
鉱物も「反応」はします。
ですから、<受>を持っている鉱物は、その意味では、生きています。
しかし、生きとし生けるもののなかで、人間だけが、<受・想・行>だけでなく<識>という機能を大脳に持っています。
考え、識別する知性を持っているのです。
「まてよ、これはネズミ取りの毒入り団子ではないか、だからあちこちに置いてあるのではないのか」と識別し、だから「食べない」と選択をする知恵が発達しています。
この識があればこそ、人類は火を使い、田に水を引いて米を作り、自然をそのまま享受するだけでなく、これを変えることもして文明、文化を作り上げては、万物の上に君臨してきました。
しかし、この識は、実は、両刃の剣という厄介なものです。
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悩ましい人間の識(しき)
識、すなわち、知性はよい方向、よい目的に使われれば、便利なよりよい生活をもたらします。
しかし、人間は、愚かにも、その反対にもこの識を誤り使ってしまうのです。
自我に発する不平、不満、恨み、憎しみ、怒り、妬みのマイナスの感情にもその識は使われて、復讐の連鎖や破壊や犯罪、戦争をしています。
その意味では、理性(知性)=識は、狂気や混乱をもたらす人類の苦悩の源です。
今、世界中に起こって新聞を賑わせている事件は皆これです。
また、人間だけが自殺をします。
そして、ほとんどの病気が、この<識>あるがゆえのマイナスの感情によって引き起こされています。
心のストレスと無関係な病気はほとんどないことが、今では分かっています。
また、人間は開発、開拓と称して自然を変え破壊します。
識は人間の自我の成長に伴なって厄介なものになってきます。
自分が自分がという自我の肥大に伴ってマイナスにはたらく識も大きくなります。
一般に、エゴ、利己と言っているものが大きくなります。
なんとも悩ましいのがこの識という人間の能力です。
続きます。
次回又このブログでお会いします。
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