スポンサーリンク
どんな時でも神は沈黙はしていない
引き続き前作の映画の「沈黙」についてお話しします。
この映画のテーマは「神はなぜ人の苦しみに沈黙しているのか」という疑問、これは映画の中で、あるいは小説の中で神父に言わせていますけれども、実は、遠藤周作その人の心の中の疑問だと思います。
ところが神は沈黙をしていない、どんな時でも沈黙はしていない、ということをお話をします。
前回、「これほど苦しむ彼らキリシタンに、神が沈黙していることをどう説明するのか」とロドリゴ神父は悩みます。
神父としては当然の疑問でしょう。
答えなければならない義務があります
でもどう答えていいか、わからない。
答えられない。
では神はいないのか?
神に祈ってもその沈黙が恐ろしい、祈りを捧げても答えが来ない、という思いでいます。
「どうか救ってください、イエスキリストの御名(みな)を通してアーメン」では、神は出てこないのです、実は。
これは人類にとっての長い長い間の疑問です。
あなたはいないのか、と彼は思います。
私は無に対して祈っているのか、と神父は独り言をつぶやきます
実は、その時も神はその神父に答えているのです。
あなたは無なのか?
スポンサーリンク
かつてモーゼに現れた本当の神とは?
沈黙などしていません。
どういうことかと言うと、何度も言いますように、かつてモーゼが受けた神の定義としての
I am that I amという法則を通して答えているのです。
それが神なのです。
それが神の正体です
ロドリゴ神父が私は無に向かって祈っているのか,という独り言はある意味で真実をついています。
神父が思っているようなそういう神はいないのです。
そんな答え方をする人間のような神はいないということです。
それが I am that I am の意味なんです
<私はどうしたらいいかわかりません。
どうか行くべき道を示してください、キリストのみなを通してアーメン>
おそらくこれがロドリゴの祈りだったでしょう
これでは答えは次のようにしかやってきません
どうしていいかわかりません。教えてくださいと哀願しているロドリゴ神父の姿が延々とと実現する、ということなんです
それが I am that I amの 法則の神です
神は答えを常に与えています
ただしロドリゴが予想、ないし期待したような答えではありません。
これほどキリスト教の専門家とも言うべき神父ともあろうものが、神について無知なのです。
これで人々を導き救うというのですから、無理な話です
この映画「沈黙」が教えてくれることは、前回申し上げました請求型の祈りを神父達および信者達はしている、ということです。
最もこれはキリスト教に限ったことではなくて、ほとんどの宗教の基本的なスタイルではあります。
まあ、それはともかく、 i am that I amに従った祈り方ではないということです。
彼らの祈りは I am that I am ということで神の法則通りに切に哀願し懇願して、何とかしてくださいお願いします、というまさにその祈りを続けている限り、そうした状況は続いていきます。
だから、映画「沈黙」で描かれている過酷な拷問がただ延々と続いてゆくことになるわけです。
スポンサーリンク
伝統的なキリスト教の無力さは何処からくるか?
その意味ではこの映画は、伝統的なキリスト教の無力さ、神父たちのやっている祈りの破綻をしみじみと描いていると言えるでしょう。
これは、まさに遠藤周作という作家の抱いていた伝統的なカトリックそしてプロテスタントも同じですが、その祈りの本質を表しています。
そしてモーゼの教えた I am that I am そしてイエスの教えた祈りとは程遠いものを感じます。
彼らはキリスト教と称して実はイエスキリストの教えではないんですね。
イエスは何て言ったかと言うと、 神に向かって、ああしてください、こうしてください、どうしたらいいですかなどという風には祈っていません。。
イエスの祈り方はこうです。
「もし願い事があるならばそれはすでに叶っていると信じなさい。さらば得ん」とI am that I amの神の法則に則って祈れと言っているんです。
これこそが、I am that I am の神の法則ないし神に則った正しい祈り方です。
あなたが請求型の哀願の祈りをしている時、そこに神はいません。
厳密に言うと、神の法則はそこに働いていますが、それはロドリゴ神父と同じように無に対して祈っていることです。
あなたの望む結果は、絶対に出てこないのです。
しかしあなたが領収書の感謝の祈りをした時、そこには、あなたの望む結果が出てきます.
それこそが正しい神への祈りであり、 I am that I am の神についての真理に則った正しい祈りです。
スポンサーリンク
コメント
「願い事があるならばそれはすでに叶っていると信じる」事で領収書の感謝の祈りをすれば、効果があると言う論理は100%正しいと思います。しかし「すでにに叶っている」と信じようとするのは表層意識であり、潜在意識には今の苦しい状況によるネガティブ要素があれば、まずこれを取り除くと言うか浄化する必要があると思いますが如何でしょうか?古代の英知には真に有効な何か言霊のようなものがあり、これを毎日唱えると現実を創造する自信に内在する神がネガティブ要素のない潜在意識を反映し、現実が思いのままになるようなシステムがあるのでしょうか。ご指導よろしくお願い致します。